昆陽池と昆陽寺 その2


三門の前には水量豊富な水路がありました。


NBカラーで塗装された機側操作盤が並んでいます。
管理は伊丹市下水道部様。
昆陽寺前ゲートになります。


創建時の建物はないにしても管理所に該当するところは
どこか残っているんじゃないかと敷地内をうろうろ。


境内絵図発見。


たぶん間違いなくこれ。
工事事務所長兼初代管理所長の行基様をお祀りするお堂。


こちらが行基堂になります。


行基菩薩様のお姿は見られませんでした。
しかし昆陽池から遠いです。
管理所として造られたのでしょうけど
池よりも水路と水の分配の方に重きを置いていたのかもしれません。


今も豊富なお水をたたえる昆陽池です。


こちらは伊丹市のHPの昆陽寺に関する記載です。
「天正7年(1579年)に織田信長の兵火にかかって堂塔を焼失し、それ以前の建物は何一つ残っていません」

つまり行基堂も後世に建てなおされたものであると。
しかしその行基堂がいつ建てなおされたのかが載っていない。
山門は「江戸中期に再建された」とありますが。


そしてこちらは岸和田市のHPです。
久米田寺についての記載ですが
「永禄年間(1558〜1570)の三好氏と畠山氏の戦火で焼失しました」
「現在の建物は、江戸時代中期に再建されたものです」

こちらも江戸中期。


行基所長様に聞きたいけど聞けないし。

どちらが最古でもいいんですけど。
蛙股池と狭山池ネタみたいなものですから。
趣味の好奇心に調べて楽しい時間が一番重要。

現存する国内最古の管理所に該当するお寺は
久米田寺か昆陽寺か
どっちなんだろうかと気になりますが
現地の図書館資料で根性入れて調べたら答えが出るような気がする
昆陽寺と昆陽池訪問でした。