由良川ダム 見学 その1

2017/8/1 更新

重力式コンクリートダムが日本で初めて作られたのが明治時代。

神戸市水道局の布引五本松ダムと
舞鶴鎮守府の軍用水道として整備された桂貯水池堰堤が
1900年に生まれています。

戦前の明治、大正期に各地で生まれたダムは
独特の空気を持っています。

戦後、大規模機械化施工が米国から導入される前
型枠として切石を使ったメイソンリーフェイシングダムが
各地で造られました。

今回、見学申請した関西電力様の管理する由良川ダムも
メイソンリーフェイシングダムとして大正13年(1924年)に生まれましたが
その後、改修工事が行われ、現在は石張りの気配は
全く見えなくなっていると聞いていました。


木津川で今も頑張る大河原取水堰堤(レトロフォトモードで撮影)
竣工年は大正8年で1919年。
神戸市水道局の千苅ダムと同い年です。

もし、由良川ダムが今でも石張りの姿をとどめていたら
竣工年が近い事と、小さい川ではなくそれなりに大きい川を
横断する造りという事で、木津川の大河原取水堰堤のような
凄い迫力のダムだったのではと気になって仕方がなくなり
見学をお願いしたのです。

電力会社様の通常非公開ダムですからちゃんと文書で見学申請。
見学目的を明確にして推薦書も偉い先生に書いて頂きまして
見せて頂けることになりました。

◆ ◆


朝の早くから舞鶴鎮守府の桂貯水池堰堤と岸谷ダムを見た後
待ち合わせ場所、由良川ダムの右岸道路に到着しました。

「おはようございまーす♪」
「おはようございます。早いですね」
「はい〜。遅刻恐怖症なので」

定刻より相当早く到着したのに
本日お世話になる関西電力・舞鶴電力所の方々が
それより早く到着されていて吃驚しました。

ご挨拶をさせて頂き、とりあえず朝ごはんを食べる。
後は足元をトレッキングシューズで固め、カメラを装備していざ取材へ。


まず連れていっていただいたのが由良川ダム管理所の下流側の
弁天橋への道です。


しかし橋はというとこのようにがっちりとフェンスと灌木で通行止めに。


フェンスの間から覗き込んでぎょっとなりました。
ぼろぼろです。
まさかここまで崩壊しているとは…。


webで由良川ダム周辺を調べると必ず出てくるのが
堤体の上流に架かっている弁天橋が通行止めという情報でした。
この橋が通行できたらダムの写真が撮りやすいであろうと
行く前はのんきに考えていたのですが…

現在、この通り弁天橋は通行できなくなっていますが
そこに至る道は無事ですから
このように橋の袂まではだれでも来ることができます。
行き止まりですけど。


眼を上げると橋の銘板がありました。
昭和41年に架けられた吊り橋のようです。

この橋は今では地元の綾部市の管理ですが
元々は地元の方が通行できるように
関西電力様が架橋されたのだそうです。
そして橋をかけた後、綾部市にお任せしたとの事。


橋の横には弁財天宮がありました。


説明板にも書かれていますが
元々、由良川ダムの直下は河床から大きな岩山がそびえており
その岩山の上に弁財天宮があったのだとか。

しかし昭和28年に大きな洪水が有り
ダムのすぐ下流に巨大な岩山があることで
下流水位が上がり、ダムと発電所の取水設備に危険が迫りました。

という事で、その巨大な岩山をごっそり開削することにしたそうです。
その時に岩山の上に御祭りされていた弁財天宮をこちらの右岸側に移築し
開削する代わりにと架けられたのが弁天橋なんだそうです。

対岸には旧・国鉄、JRの駅もあります。
橋が架けられてとても便利になったことは間違いありません。

いきなり凄いエピソード来た〜!!