山の田ダム 見学 その2


山の田ダムの諸元です。
堤高:24.5m
堤頂長:310.0m
何故か堤体積が空欄。
本体施工は旧海軍。
明治38年着工で明治41年竣功。


濾過池についての説明がありました。
何とここは左岸側にある明治時代のもの、その横に大正時代の物
そして一番新しい昭和時代の物と濾過池が三つも並んで現存しているのでした。

勿論、明治大正期の物は引退していて昭和の時代の
一番新しい施設だけが稼働していますが。


堤体に設けられた階段の先に一段大きな道路の通る平らな部分があり
その先にもう一つ階段があり、その先に見えているのが
明治時代の緩速濾過池です。

この階段の位置で取水塔からの濾過池への管路が敷設されているそうです。


左岸を見ると洪水吐水路と堤体の間に
転落防止用の柵と思われるものがずーーっと続いていました。


洪水吐水路は山に沿って堤体直下、明治時代の緩速濾過池の
横を通って佐世保川に届いています。


左岸に到着しました。
横の山との間に洪水吐水路です。
越流部がちらりっ。


フレアが入らなくなった影まで来て
一番見たかったところをばっちり撮ることができました。

貯水池側の石張り
そして天端までの間に設けられた急角度の石張りの段

wave wallと言い切れないけど
でも日本の江戸期までの灌漑用溜池とは異なるこのデザイン。
長崎だし海軍さんの水源地だし。


越流部には水路側に段々が設けてあります。
本河内低部や転石と同じデザインです。


洪水吐水路はこの後、大きな段がいくつもあって佐世保川へと続いています。
洪水吐水路に大きな段があるのも本河内低部や転石とお揃いです。


「夜雀さん、ここがこのダムの面白いところです」
「芝張りの下流面」
「段が設けてあるでしょう」
「…はい。勾配が変化していますね」
「何故、ここで勾配をわざわざ変える必要があったか」
「かなり大きな段ですね」


堤体の下流法面の天端に近いところで
どーんと両岸付近まで大きな段が設けられているのです。


天端から少し下がった高さで大きな段が設けられて
下流側の法面はまず急勾配になっています。
更に下がっていくと法面中段で水平部分が造られ
その下でまたまた、勾配が急になっているのです。

「これだったら最初からおなじ角度で作っても堤体積も
そんなに変わらないような気がしますが・・・」

本邦高土堰堤誌でみたところ
北海道の小樽市にある勝納川の奥沢水源地堰堤がよく似た標準断面でした。


右岸から見たところです。

元々の地山の形が関係しているのかも知れません。
堤体の法面中央に平らな場所を造る理由が思いつかないのです。
普通はそういうところに建屋も置きません。

謎。


謎はありますが明治期の水道用アースダムで
見事な貯水池側の石張りを見ることができました。

本河内高部ダムに始まる近代水道用のアースダム技術
水道用だけでなくこの頃の発電用アースダムにも同じデザインが見られることが
文献調査で分かってきました。

19世紀末の英国標準設計に近い国内で現役のアースダムについて
近いうちにまとめられそうでうきうきわくわく。

ということで、佐世保市の水道用ダムを片っ端から見学させて頂くために
川崎秀明先生のお尻について回った見学レポートでした。