with Dam Night 2025 その1

2025/8/1 更新


ダム工学会のwith Dam Night DamOdyssey2025のテーマはフィルダムです。
「古今東西 フィルダムの魅力」

個人的に大好きなフィルダムはというと…


関西電力 尾曾谷ダム


電源開発 御母衣ダム

です。

尾曾谷ダムは桜の時期に行くと本当に美しくてうっとりします。
御母衣ダムは冬は辿り着くのも大変ですが春先なら雪ダム景色も見られます。

フィルダムについて、自分は長年、調べていたとある事柄があり
今回発表の機会を頂いたので、根性入れて調べて白黒つける!!
と、一人で気合いを入れていたのが「英国標準設計の土堰堤の国内事例」です。


英国標準設計の土堰堤とはこれです。

何処に書いてあるんだというと
日本でも熱烈なファンがいる明治時代に来日して公衆衛生について
帝国大学で教鞭をとった事もあるW.K.バルトン氏の著書「都市への給水」で
このような文言と図があるのです。


当時、あちこちに植民地があり、ダム建設技術の高かった英国は
土堰堤をこう造ったら安全だという基準を確立していたのです。


そして、昔、目にした某大学のえらい先生が書いたものに
「この英国標準設計で造られたダムは三重県の津市水道局の片田ダムだけ」
というくだりがあり、この文言に完全に囚われてしまっていました。


非常に美しい片田ダムの天端です。
昔、見学させていただいたときの写真です。
貯水池側の壁は“波除堤”、“幅の広い天端”が特徴的。

日本初の水道専用ダムである本河内高部ダムは土堰堤、アースダムです。
現在は1982年の長崎大水害の後、改修工事で上流側が埋め立てられ
竣工時の面影は下流側だけになっていますが、竣工時の記録を見ると
英国標準設計と要素が一致しています。

なので、この某大学の偉い先生は
竣工時の姿を維持している現役のダムの中で片田ダムだけ
という捉えをされたのかな???と、調査を進めていく中で気づきましたが後の祭り。

それまで小さい土堰堤しか作られていなかった日本で堤高20mを超えるような
土堰堤が作られるようになった明治大正昭和初期。
各地の土堰堤を見ると、これは英国標準設計じゃないのかな??
と、疑問符が飛ぶ事例がいくつもありました。


中でも、一番自分がこだわっていたのが
舞鶴市上下水道部 岸谷ダムです。
正式名称は岸谷川下流取水堰堤。
1921年(大正10年)竣工 堤長148m 堤高30m
舞鶴鎮守府の海軍さんのためのダムとして造られました。

英国標準設計のダムだと信じてあちこちで資料探し。
京都府で古い文献を一番持っている京都府立京都学・歴彩館で司書の方に手伝ってもらって
なんとか平面図までは辿り着きましたが標準断面図はどうしても見つからない。


この時の質問したことがちゃんとレファレンス協同データベースに残っていて笑いました。


きちんと記録に残してもらえるんだな~と、司書の方のお仕事っぷりにびっくり。

英国標準設計を追いかけていくと、アホの自分ではどうしようもない事なんですが
英語の文献の壁にぶち当たります。

今回、教科書的な有名なダム文献として


William Humber の 「Comprehensive Treatise on Water supply of Cities and Towns」 1879年
Edward Wegmann の 「「The Design and Construction of Dams」 1888年
Norman Smith の 「A history of Dams」 1971年

を、読まねばならぬ事態になっていたのです。

ここでアホの私を大いに助けてくださったのは
EADCでもお世話になった日本大ダム会議の皆様
そしてこれらの本をご自宅でお持ちの神戸市水道局OBの松下様
でした。


英語に堪能な専門家の方に解説を頂き
当初、英国人か米国人かも解らなかったHumber氏が英国人である事や
Norman Smith氏は 1938年イギリスのサウザンプトン生まれ ブリストル大学で学び
ニュージーランドのカンタベリー大学で講師、ロンドン大学のインペリアルカレッジで講師
という経歴を持つ人だった事など
教えて頂きました。

大ダム会議の皆様、松下様、ホントにありがとうございます。


堤体断面でわかりやすい法面勾配や波除堤、石張と芝張に加えて
貯水池横を走る保障水量を流す水路にも注目しましたが
そっくりな構造の尾曾谷ダムの場合は流筏路だと調べがついていますし…


内日第一ダムも貯水池横に水路を持っているのですが
これは工事時の転流を目的とするものであろうというご指摘を受け
またまた振り出しに。


英国標準設計の要素を持つ土堰堤は数あれど
バルトン氏は元計画を立てただけで実際のダム設計は
設計者は当時の日本人技師なのです。


私がこだわっている岸谷川下流取水堰堤こと岸谷ダムが
英国標準設計なのかどうかを特定できない…

ということで現地にやってきました。
あちこちで現地に行くと見つかる文献と資料にかけて舞鶴市東図書館へ。


すると見つかったのです。
まさかの断面図。


めちゃくちゃ詳しい。
地元の郷土史家の方かと思っていたら現役の水道部の方が執筆された本でした。

大急ぎで複写をお願いし、すぐさま舞鶴市役所へ移動。
コピーを手に水道部の窓口に伺ったところ
執筆されたご本人が来てくださり、もう大喜び。


そして更に凄いデータを示して教えてくださいました。
堤体のコア部分に鋼管を止水目的で643本も使っている事。


帰宅して調べたところ、日本水道史にもばっちり記載されていました。


そして堰堤の設計は吉村長策技師だったと結論付けましたが

これは発表当日、修正がかかりました。
設計者は別の方。
多分チーム吉村に所属する方。


・・・。
英国標準設計の要素はそろっているけど…。

というか
英国標準設計のダムって片田ダムだけじゃなくて
ダム設計しているのは英国の文献で技術を学んだ日本人技師で
基本要素に加えてそれぞれのダムに適した設計で補正されているし
片田ダムだけに限定されるのおかしくない?

再開発されているとはいえ本河内高部ダムを無視するのはやっぱり納得いかない。

ということで、最後の文献調査は帝都。
日本大ダム会議様の本棚に賭けました。


こちらが英国大ダム会議が作成した本です。
英国のダムがたくさん載っています。


ここに「英国のコンサルティングエンジニア または 請負業者による海外のダム 」
を紹介しているページがあり、本河内高部は載っているかなどを探したのですが

日本に英国のダム技術者の関与がカウントされていなかったという結果に。

つまり、明治大正昭和初期に造られた土堰堤は
海外事例を学んだ日本の技術者の英知で
それぞれの場所に適した材料と方法で建設されていたということで
英国標準設計と要素が同じダムが国内にたくさんあるのは当たり前
というオチだったのです。

ここまで時間をかけて調べた結果を専門家の方に報告すると
「うん。そうだよ。」
という一言で終る話だったという。

専門家の方は私が何でそんなに英国標準設計にこだわって資料を探しているのかが
むしろ不思議で、何しているんだろうな~と、面白かったとのこと。

あーあー あーあー

と、自分のアホさを再確認することになりましたがとてもとても勉強になりました。

私と同じようにたった一つの論文や文献に記されている文言や数にこだわって
それが正しいと信じ込むと正解にたどり着けないこともあるわけですので
同じように文献調査が好きな若人たちには同じ轍を踏んでほしくないので反面教師にしてください。