立梅用水と波多瀬発電所 見学 その3


ここで事務局長自ら、紙芝居『立梅用水と西村彦左衛門』を
演じてくださいました。

紀州藩に嘆願書を出してから12年も待ち続けて
紀州藩からようやく来た返事は班の直営事業として
立梅用水を造るというもの。


工事が始まってから3年。
1823年(文政6年)3月立梅用水は完成しました。

工事が始まってからも難工事で疲弊してしまう
作業に従事した人のために掘った岩と同じだけ米を与えるなど
西村彦左衛門は私財をなげうってこの事業を完成させました。
志がなかったら絶対こういう事業は完成しないよね。


ちなみに立梅用水井堰は現在の位置に来るまでに何度も場所を変えています。
初代は現在の井堰からかなり上流の桜橋の下流にあったそうです。
何度か出水で破壊されては修復を繰り返し
場所が変わって二代目が明治40年頃 桑瀬橋下流に造られたという伝承があり
1919年(大正8年) 台風でなんと三代目の井堰は全壊し流失!!
造っても作っても苦難の連続の立梅用水。

しかし明治から大正の世の中
水力発電の機運が国内で高まっていました。

1920年(大正9年)なんと 三重共同電力会社(現 中部電力様)が
堰堤を再建する資金を出すかわり非灌漑期に発電用水路として立梅用水を使用するという
全国でも例を見ない手法を示してくださったのです。

1921年(大正10年) 現在の四代目井堰ができ上がりました。
メイソンリーフェイシングの堤体です。

立梅用水に中部電力様が関わっている理由はこういう御縁があるからなのでした。


旧宅の庭を見るときちんと立梅用水が表わされていたので
見ていて嬉しくなりました。


文化庁指定の登録記念物のプレートです。
登録有形文化財とかに比べるとべらぼうに敷居が高い登録記念物。
認定とるのはちょっとやそっとでは無理な代物です。
その後ろにあるのは世界かんがい遺産の認定証です。


旧宅の中をうろうろしていてよい物を見つけました。
立梅用水のTシャツ。
ぴぴっと来たのですぐ購入。

◆ ◆


立梅用水の歴史を学んだので次に向かうのは波多瀬発電所です。


水路の下流から上流に向かって進んでいきます。
たっぷりお水は見ていて幸せ。


どんどん進んでいくと視界に何かが登場。


ヘッドタンク(上部水槽)です。


水槽の下、川の方を見下ろすと波多瀬発電所の建屋があります。


水圧鉄管真上から見降ろせます。
フェンスの隙間からですが。