菅沢ダム 見学 その7

インターホンを押して待つ。

「すいません。2階のホールの展示を拝見したいんですが」
「はい。上がっていただいて結構ですよ」
「それでこのダムの詳しい資料とかパンフレットとかありましたらそれも欲しいんですが」
「わかりました。2階にお持ちしますね」

と、優しい女性職員の方の声。
エレベーターで2階に上がります。



2階のふれあいホール。
パネル展示にダムのある地域の地形模型
ビデオ映像などもあるようです。
パンフレット類もあります。

職員の方が菅沢ダムのパンフレットを持って降りてきてくれました。

「ありがとうございます。この管理所もホールも新しいですね」
「はい。建て替えたばかりなんです」
「例の耐震構造の問題で指導が来たんですか?」
「いえ、地震で建物の廊下にクラックが入ったので・・」
「! 鳥取県西部地震ですか!」
「そうです。元の管理所はここより少し西側にあったんですよ」


展示してあるパネルには建設当初の管理所が写っていました。
現在は駐車スペースになっています。

2000年の10月6日におきた鳥取県西部地震
震源の深さが9kmと浅く、最も揺れの激しかった場所は菅沢ダムのすぐ近くでした。
震度6強の揺れが管理所を襲ったのです。
管理所はダメージを受けましたが堤体は無傷だったという事を思うと
ダムというのはやはりすごい建築物なのだと感じてしまいます。


感心しながら観た展示パネルのひとつ。
水没地域の移転家屋について記されているのですが
ここで吃驚したのは水没した個人宅の所有者名が
一つ一つ丁寧に書かれて記されていた事でした。


それぞれのお宅の写真までお名前と一緒に展示されていました。


ダムに沈んだふるさと
下流の人々の暮らしの為に移転を承諾してくださった方々の家

もう二度と見ることはできません
でもここで懐かしい風景を見てくださいと

この細かい心遣いはさすが直轄ダムだと感心しました。


もちろん水没保障を受ける世帯数が少なかったということもあるのだと思います。

ここにお住まいの方の数が九頭竜ダムのように
いくつもの集落を含んで500世帯以上の移転ということであれば
こんな展示はできなかったでしょう。

九頭竜ダムの水没区画については当時の村長が記録をされていて
旧和泉村村史には各個人宅が書き込まれた詳細な地図が残っていました。