相楽発電所取水堰堤 見学 その1

2018/5/11 更新


梅のシーズンに、家族と月ヶ瀬梅渓に梅を見に出かけました。

奈良市内からR24、R163と進んで木津川沿いに東に車を走らせます。
笠置を過ぎて関西電力様の布目発電所が見えた直後
高山ダムが大事にしている有市地区に入ると
視界にいつも入ってくる取水堰があります。

「あの堰、見に行きたいな〜と思ってるんやけど道がみつからへんねん」
「神社の入口あたりとちゃうか」
「車停めるところも行き過ぎてからの路肩の拡幅されたところくらいしかないし」
「JRの橋脚あるしあの辺りのどこかに入口あるんやろなー」


という会話がありその後は特に話題に上がりませんでした。
梅がきれいだけど観梅水位ではない高山ダム湖・月ヶ瀬梅渓。

◆ ◆

数日後

ガラケーから板きれ(スマホ)にレベルアップした家族から
突然、PCのメールアドレスに写真が届きました。


「バイクで行ってきました。」


「相楽発電所と書いてありました」

この写真を見た瞬間、ぞわわっと鳥肌が立ちました。
R163から全容は見えていませんでしたが
まさか右岸側にこんな設備が隠れているとは
と、驚いたのです。

閘門がある…
この取水堰、閘門装備してる…

ローダムで
いやローダムだからこそかもしれませんが
インクラインで舟筏路を設けるのでなく
閘門を備えているところがあるとは…。


DamMapsで航空写真を見てみました。


完璧に見分けられる流筏路と魚道と閘門です。

極めて珍しい事例なのか
自分が不勉強で知らないだけなのか
もうこの写真を見てから気になって気になって大変でした。

◆ ◆

4/1に狭山池博物館で開催された講演会に行った際
以前ご挨拶させていただいた関西電力の偉い人がお越しになっていたので
いきなり
「お願いがありますっ!!御社の相楽発電所の取水堰を見学させてくださいっ!!」
「閘門を装備しているローダムというものを自分は見たことがなくって」
「よろしくお願いしますっ」

と、いつもの勢いでお願いをしてしまいました。

当然ながら…
たかが素人が非公開管理施設の見学を希望しても
そう易々と許可が下りるはずもなく
お世話になっているダム工学会の偉い先生に
推薦状兼紹介状を書いて頂き審査して頂くことになりました。


相楽発電所の見学許可が出るか審査待ちの間に
少しでも勉強しておかねば…とやってきたのは京都の北山。


旧・府立資料館は京都府立 京都学・歴彩館になりました。
京都府内の歴史的資料ならここが一番。

ということで館内で資料を検索しまくったんですが
一時間かけて検索してもこれだという資料に出会わない。

とりあえず市史、町史、村史。
淀川の歴史関係の文献を片っ端から当たります。

いくつかの文献を見て
舟運については相楽発電所取水堰堤よりも下流の
笠置浜(今はBBQのメッカになっている笠置町の中心部の広大な河原)より下流で
多く行われていたという事がわかりました。

木津川の水運で主要な荷物の集積地でもあった笠置浜ですが
明治31年(1898年)の関西鉄道(現在のJR関西本線?)全線開通で
鉄道貨物に取って代わられたために徐々に衰退していったそうです。

しかし見つからない具体的な図面に計画。
へこたれそうになった時に二件、検索でヒットした物がありました。
文献や本ではなく行政書類で、「簿」と記されていました。

「東邦電力木津川発電所付属堰堤可動決瀉板設計変更工事竣工届」

というものです。


本ではないという事でどんな物かわからないけれど閲覧を申請したら
なんかとんでもなく貴重な古文書みたいな凄い物が書庫から出て来ました。
厚さは15cmくらいあるでしょうか。

発電所の計画を京都府に申請する際に
東邦電力が作成した資料でした。


手書きと活版印刷とページをめくったら破損するんじゃないかと
もう触るだけでもドキドキの資料でしたが
貴重書閲覧コーナーで司書の方々の前で慎重に慎重にページを繰ります。


すると…記載が見つかったのです。

相楽発電所は東邦電力が設計計画し、竣工した時は
木津川発電所という名前だったのです。


これが資料内にあった図面です。
間違いありません。
流筏路に魚道と閘門。
現在の相楽発電所と同じ姿です。

ちなみに複写をお願いしたところ
デジタル複写の許可をいただきまして
手持ちのカメラで必要分だけ撮影させていただくことができました。

たしかにこの資料をコピー機に乗せるのってそれだけで破損して大惨事になりそうで
デジタル複写サービスというのはとても理にかなっているなと思いました。


とりあえず大変読みづらいので文字の書き起こしからスタート。

これが閘門と魚道と流筏路についての記載部分になります。