龍ヶ鼻ダム 見学 その3

直下への道を進んでいきます。
この位置から見るとやはり、非常用洪水吐が
川の流れに対して明らかに右岸よりです。

常用洪水吐の下に減勢池。
スリット付きの副ダム。
そして消波ブロックが敷き詰められた護床工の区画。
これらが元々の河道の流れに沿ってまっすぐ設置されています。
非常用洪水吐下の側水路の壁と減勢池の両側の壁を形成している
埋め戻し部分がかなりの高さです。
これは天端から見るとわかりにくいけど下から見るとよく解ります。
壁の高さはとても重要なポイントです。
それに対して副ダムが小さいのが印象的。

それぞれのパートを色分けしてみました。
元々の河道を変えるというのはあまり良いことではなくて
可能な限り、元の河道に沿った形で洪水を吐けるように
洪水吐を設置するのがスタンダードです。
なぜなら、元の河道は今まで多くの出水によって定められてきたルートなので
それから大きく離れる形に作り替えてしまうことは地形に大きな変化を
新たにもたらすことになるからです。
透過型砂防堰堤のスリット部の幅も元々の沢の幅に合わせて造られます。
もちろん、今まで河道でなかった場所に水路を設けること自体は
技術的に可能です。
ただ、両岸が崩落しないように安全な法面をつくること
河床の洗掘防止策を講じること
洪水時に流れる水を安全に流下させられる構造にすること
などを考えると土質改良をはじめ、大規模な安全対策が必要になり
それらのもたらす環境変化も見込んで計画しなくてはなりませんので
建設費が凄いことになります。
なので元の河道の流れに沿って水を流すというのは理にかなっているわけです。

常用洪水吐に重ならないように、位置をずらした非常用洪水吐の越流水は
堤体をまっすぐ下っていきますが、堤体の足元、堤趾の部分で
段に当たるようになっています。
この段がとても大事なのです。
シュートブロックの役目。
ここにあたる事で勢いが殺されるからです。

写真集にあった下流面図です。
非常用洪水吐のゲートレスクレストの越流水が
堤体をまっすぐに流れ下り、減勢工までの間に段に当たって
勢いが弱められます。
勢いを弱めた水を集めて常用洪水吐の方へ流すダム軸と平行な水路が
龍ヶ鼻ダムの側水路です。
側水路というとついつい天端側水路をイメージしてしまう方もいらっしゃると思いますが
天端側水路はもともと堤体の下にあった側水路を天端に持っていく
という発想で設けられたもので、国内に4例のレアケースなので
一般的に側水路といえばこの場所にあるのが普通です。
堤高が低い場合は段が設けられていない時もあります。

写真集にあった計画概要です。

写真では読みにくいので書き出してみました。
治水のお役目を強く求められていることがわかります。
計画が動き出したのが1968年(昭和43年)です。

写真集と一緒に閲覧した工事誌です。

工事誌には導流部のデザインは堤体の種類を検討するのと同じく
複数の案が出され、どの方法が安全度、建設費、そして管理のしやすさで
優位であるかが検討されます。
この図では、左が堤趾導流壁と減勢池を両方備えていますが
減勢池の中で常用洪水吐と非常用洪水吐からの水が
影響し合わないように隔壁が設けられているように見えます。

別のページに減勢池の断面が一緒に載っている図がありました。
右は漸縮型堤体導流壁で常用洪水吐と非常用洪水吐の水を
一つの減勢池にまとめるデザインです。
常用洪水吐の吐口の上にデフレクターが設けられていて
常用と非常用の流れをまとめるのはダム建設で最も多い形(従来型)でした。
ただ、この形は常用洪水吐の上から非常用洪水吐の水が落ちてくるので
多少、常用洪水吐の流下能力に影響を与えます。(洪水処理能力に影響)
それを見込んで常用洪水吐のゲートのサイズを決める必要があります。
コンジットゲート国内初事例の京都府の大野ダムです。
常用洪水吐と非常用洪水吐の放流ルートが同じです。
そしてコンジットの常用洪水吐の吐口の上にはしっかりとデフレクターが設けられ
できるだけ非常用洪水吐の放流水が影響しないように考えられています。
なのでそれぞれ別々のルートで流すことができたらとてもよいのですが
減勢池がとても大きくなってしまいます。(工事範囲が大きくなりコスト増)
まとめたらまとめたで、凄く大きな減勢池が必要になります。
九州地方整備局の耶馬渓ダムです。
非常用洪水吐と常用洪水吐の減勢池が別々になっています。
非常用洪水吐側の減勢池に草がもさもさしているのは
あまり使われていない証拠でよいことかなと。

ということで検討した結果
堤趾導流壁と側水路が最も良いということになり現在のデザインになりました。
工事誌にもしっかりと記載されていました。

安全度、放流能力、管理のしやすさ、そして工費縮減
環境変化を最小に収めるという最も優れたデザインとして
龍ヶ鼻ダムの減勢部と導流部は生まれたわけです。

導流と減勢についてお世話になっているダムマイスター専門家の川崎秀明先生に
質問したところ、今度、イベントでお世話になる元ダム技術センター顧問の
高須修二様から堤趾導流壁が採用されるようになった流れを教えていただくことができました。
それをお聞きしての自分の理解が以下 ↓ のようになります。
河川管理施設等構造令が出たのは1976年(昭和51年)です。
構造令が出される前後で自由越流頂(ゲートレスクレスト)の採用例が増えてきていました。
理由は非常用洪水吐ゲートの操作性。現場が大変な苦労をしていたからです。
しかし、ゲートレスクレストにすると、目標量を吐くためには
越流長を長くしてクレストにずらーっと越流頂を確保することが必要になります。
従来型であった正面越流(直線流下)や漸縮型の導流などに比べて
越流水深が十分に確保できない場合、長さで稼ぐために
必然的に幅広の自由越流堤頂が必要になってくるのです。
すでにダム事業が進んでいたダムでも計画されていたクレストゲートを
ゲートレス化する事例がいくつも出たそうです。
その長い長い越流頂に対応できる物として堤趾導流壁や側水路が
用いられることとなったそうです。
そして、ついつい、素人が勘違いしてしまいそうな点として
新たな発明、新技術としてこの頃に堤趾導流壁が出現した、というわけではなく
長大な越流頂のゲートレスクレストが採用されることになって必然で生まれた形
つまり歴史の必然ととらえるべきであるというご助言を頂きました。
なるほどなー。
ついつい新技術誕生!! 初号機はここだ!! というとらえをしてしまうのですが
(天端側水路の国内初事例は兵庫県の天王ダム、みたいな)
技術者の方はそういう見方はされていないのですね。
ちなみに福島県の東山ダム、岡山県の鳴滝ダムが国内初事例と言われていますが
竣工時期は前後しますが、堤趾導流壁と側水路という方式を採用した事例として
龍ヶ鼻ダムがあったとお聞きしたので、過去写真を動員して勉強しなおしました。
初期の堤趾導流壁と最新の堤趾導流壁を比較すると
さらに勉強になるかと思うので、最新事例もレポートしていきたいです。
お指導頂きました川崎秀明先生、高須修二様、ありがとうございました。