三浦ダム 見学 その1

2019/12/21 更新


令和元年、秋が深まってきた頃に木曽川の上流にやってきました。


夜中にのんびり車を走らせてまず到着したのは自然湖という名の堰止湖です。


湖面には立枯れた木々が並んでいます。
年々、その数は減っているという事です。


岸には細かな砂が堆積しています。

昭和59年9月
長野県西部地震発生
マグニチュード6.8の大地震でした。


自然湖のすぐ下流にある濁沢川です。
現在も砂防堰堤を造る工事が進んでいます。


広い谷に並ぶ鋼製スリット。
土石流の中の巨礫や巨木を補足します。

この濁沢川の上で大規模な崩壊が起きました。
御嶽山の山腹大崩壊です。
押し寄せた土石流が流れ下り堰止湖を形成しました。

川は押し寄せる土砂で40mも埋められ高くなって今の姿になっているのです。

広々と見渡せるこの場所には元々、関西電力様の取水堰堤がありました。
今はこの土砂の下、40mも深い谷の底に埋まっています。

土石流で亡くなった方もいらっしゃいました。
更に上流の集落にお住まいの皆さんは道路が落ちた為に
自然湖の下流の王滝村内に道路が復旧するまで一時避難されていたそうです。


水没林が幻想的でとても人気のある観光地にもなっている自然湖。

訪れる人がこの湖が生まれた災害について知らずに来たとしても
現地には説明板があるので生まれを知ることができます。

◆ ◆


自然湖のすぐ上流にある関西電力様の王滝川ダムに到着しました。

元々は同じサイズのゲートが4門並んでいたそうですが
設備更新で右岸側の2門を大きなゲートに取り換えて1門にし
越流深も下げられています。


関西電力様の公式twitterの水力の水曜日シリーズで
紹介されていた王滝川ダムの下流側からのビューです。

写真の左側(右岸側)のゲートが左岸側の2門に比べて巨大なのがよく分かります。
写真の一番右にはひっそり流塵対策用のセクターゲートも設置されています。


王滝川ダム管理所になります。

今日、ここから関西電力・木曽水力センターの方にご案内を頂き
三浦ダムを見学させていただくことになりました。

◆ ◆

まず、三浦ダムの沿革です。

建設が始まったのは昭和11年8月の事です。
木曽川水系の電源開発と言えばもちろん大同電力の福沢桃介翁。

工事は電力国家管理の時代になったことから
日本発送電株式会社に引き継がれました。

戦時中でセメントはもちろん色々な物資がとにかく足りなかった時代です。

あの黒部ダムにもセメントを供給した三重県の藤原鉱山の
当時の所長・別府太郎氏と三浦ダムの工事事務所長・石川栄次郎氏は
お知り合いであったそうです。

軍部からのセメントの要請に応えなくてはならない時に別府氏は
「軍備ができても電気がなければ何もならない。
もっと大きな国家的見地から見れば、その重要性は明らかでしょう」
と信念と情熱を持って自社の高品質のセメントを
この三浦ダム建設に優先的に回してくださったという逸話が残っているそうです。

大同電力、福沢桃介翁がどれだけ人望が厚く、人々の暮らしのために尽力し
人々の心を惹きつけて止まなかったのかを語ってくれるエピソードのひとつだと思います。

昭和17年に貯水池は完成し、湛水が始まります。

昭和20年1月に三浦ダムの堤体直下に設けられた
ダム式の三浦発電所が発電を開始しました。

そして昭和26年、現在の関西電力の施設となりました。

三浦ダムがあるのは森林管理所が管理する国有林の中です。
一般車両は通行できません。

近年、地元の王滝村主催の見学ツアーや
旅行会社の見学ツアーが開催されるようになりました。


林道を進んでいくと木々の間から堤体がちらりと見えました。
もうすぐ到着です。


到着しました。
車を降りるといきなり物凄く冷たい空気が。
当日の最低気温はもう氷点下だった三浦ダム。
天端標高はEL1304.7mです。


天端左岸の端に見張所がありました。
横には積雪深を測るスケールが。


木製の素敵な表札です。

警察官…立ち寄るのかな。
ここはさすがになかなか立ち寄れないと思うの。


天端はすごく広いです。
現在は冬季通廊が貯水池側をふさいでいますが
それでも十分すぎるほどの広い広い天端です。


「わぁ♪お洒落なデザインですね♪当時の流行ですか?」

パラペットタイプの高欄の天端レベルに等間隔の穴があったので
覗きこんだりしていましたら

「いや、天端の雪捨てに使う穴なのです」

と、説明が。

お洒落じゃなくてとても実用的なものでした。