間歩谷ダム 見学 その6


不動明王社を下から見上げたところです。
今は通う人も少ないでしょう。

ここに鉱山があり、選鉱場があり
たくさんの人が生活していた時にあった活気は過去のものになりました。

それはここが鉱滓堆積ダムになったからではありません。
閉山で人がいなくなってしまったからです。

選鉱場の周りに社宅がひしめくほどに立っていた頃
東洋一の選鉱場として昼夜の別なく稼働していた頃
昭和40年頃には250世帯、1100人もの人が生活していた場所だったのです。

閉山の年、昭和62年には相次ぐ合理化と規模の縮小で373人にまで人を失いました。
そして産業を失った場所から次々に人は出ていきます。

今の神子畑は限界集落です。
世帯数40戸。70数名の住人。

携帯電話の中継アンテナも50戸が設置基準であるという理由で
建ててもらえないという場所なのです。

不動明王社が100年経ってなお立ち続けていても
訪れる人はなくなってしまったのです。


不動明王社からダム湖にあたる部分を歩いて天端に戻ります。
どこを歩いても足元はしっかりしています。
まぁ、人一人の重量なのでこれで地盤を語ることはできないのですが。


草の中にゴルフボールが落ちてるのを見つけました。

先日、神子畑を訪れた時に朝来市の方から
堆積ダムの周辺にゴルフのコースが作られていて
社員の方々が利用していたらしいという話を聞いていました。

間歩谷ダムの周囲は山なのでゴルフのコースが作られていたのは
たぶん堆積ダムのこの平らな場所そのものだと思われます。

木々が妙に奇麗に育っているなと思っていたのですが
たぶんゴルフのコースとして社員の方が
鉱滓を溜めることが無くなった頃から
手作りで整備していたのでしょう。


天端にあった水路の上に渡した鉄板。
これは選鉱場にあった鉱石を砕く機械、ロッドミルやボールミルの
内側に取り付けられていた鉄の板です。

小さな所に鉱山の残照が見られます。


昭和8年(1933年)に間歩谷ダムは“鉱滓堆積場堰堤”として築造されました。
しかし、生産量が増えるにつれ、堆積場はどんどん埋まっていきます。
堆積場として確保する土地がなくなってしまうと採掘もできなくなるので
昭和37年(1962年)に明延鉱山では鉱滓を、鉱山内の採掘跡や旧坑へ
埋め戻すスライム充填を開始しました。

山から採ったものを山に戻すこの方法は効率的で
鉱滓堆積ダムはこのころから使われなくなったと考えられます。


桜の木が植えられていることに
ゴルフコースの痕跡が見られることに

この場所が人々に親しまれていたことを感じることができます。
そして今も鉱山法に則り管理されている古い鉱滓堆積ダムです。

ほかの鉱山でもいくつか鉱滓堆積ダムを見てきましたが
こんなにのどかな風景に変わったダムはあまりないのではと思います。

一応、立ち入り禁止区域ではありますが
できれば一般の方に公開して見てもらってもいいのではと感じた
兵庫県・朝来市の神子畑選鉱場の横にある間歩谷ダムでした。