番外編 毛馬第一閘門 見学 その7

残念石を見た後に淀川の方に進んでくるとこんなものがあります。


堤防が高くなっているのですり鉢状になってしまったこの場所の底に鎮座している遺構。


上には何とも古い機材が残されていますがどう見ても遺構。


これが何かというと旧・毛馬洗堰の遺構なのです。
1910年に造られ、1975まで使われていた洗堰の
右岸3門をこのように残してあるのだそうです。

現在、この洗堰がしていた仕事は毛馬排水機場がやっています。


淀川を横断している淀川大堰。


淀川大堰のお仕事。
普段は塩水の遡上を食い止めつつ淀川のお水を神崎川と大川に流しています。
洪水時には神崎川と大川への流入をストップして海に流します。

そして高潮時は安治川・木津川・尻無川のバイザゲート軍団が閉じて
毛馬排水機場が大川経由で3本の川の水を淀川本川に送り込みます。
淀川戦隊サンバイザー(ダム日和のtakane様命名)については
takane様が公開されている動画レポート
「ケロロ軍曹が行く 大阪・巨大アーチ式水門めぐり」
をご覧頂けたら良くわかります。


淀川と大川の合流点です。
手前の二本が大川です。
何で二本に分けられているかというと。


これの為です。


これが三代目の毛馬閘門。
現在はこのゲートが主役。


ちょうど通りかかったボートが閘門の通過をしています。


このように大川の合流点は閘門のルートと排水機側ルートになっているのです。
排水機側はもちろん当たり前ですが立入禁止。


という事で毛馬排水機場周辺の近代化遺産と史跡を紹介しましたが
ここまで来ると現役の排水機場が気になります。

実は2005年に一度飛び込みで見学をしているのですが
その時の写真があまりにも悪くて使えないため
改めて見学をさせていただくことになりました。

という事で
毛馬排水機場のレポートはもう少しお待ちください。

(つづく)