蛙股池 見学 その4


洪水吐の辺りから見た堤体です。
周囲はすっかり住宅街。
マンションも立っています。

何といっても1400年前からこの場所にある池です。
人が多く住む土地で1400年もたてば
普通、地形も景観も変わって同然。


堤体からダム湖の方に移動します。
左岸からかかっているあやめ池新橋で神社に行きます。


くるっとまわってあやめ池新橋。
この先に小学校があるので平日の朝はお子さんの声で賑やかかと思います。


あやめ池神社です。
写真中央少し左寄り、梅の木の向こうに看板が立っています。
これが蛙股池と神社の由来を書いた看板です。


神社の方に来ると洪水吐の上流面が見えます。
越流部が2段になっているのがこちらからだと解りやすいですね。
満水です。


神社の敷地はこのように奥が高くなっているので池を見渡せます。


そして蛙股池の由来。

この神社は蛙股池を作った時にこの池の守り神として建てられました。
神社が建てられたのは池が作られたのと同時期。

そして作られたのは日本書紀によると607年という事になっています。

大阪府の狭山池は616年(改修工事で発掘された木材の年代を調べた結果)と言われています。
それより古いのです。


日本で一番古いダム。
堤高15mあるのかないのかは曖昧です。

でも1400年以上たってもまだ現役で頑張っていて
しかも洪水調節を行っているというのは事実。

水のある景観を与えてくれる街の中のため池。
そんなため池が実は洪水防御の為に頑張ってくれるという事。

蛙股池は灌漑用水確保と洪水防御が今の仕事なので
堤高なんか気にもかけないで、ただ、ほのぼのと
街の中に静かに人と水鳥の憩いの場になっているアースダム(?)でした。