市房ダム 見学 その1

2021/1/31 更新

COVID-19の影響で例年通りの開催が困難になった日本ダムアワードで
リアルイベントになってもリモート開催になってもとにかく発信はできるようにと
選考委員、プレゼンターは晩秋の頃にはデータを着々と集めにかかっていました。

ダムカード配布ですら11月の頭まで自粛されているところが大半でしたし
今年は特にCOVID-19の感染確認数が多い所に行くのは怖いし
少ない地域に行く事も気を使うし…という、どうにもこうにも活動しづらい状態でした。

令和2年7月豪雨の市房ダムの防災操作が洪水調節賞にノミネートされましたが
発災後、現場の状況が報道で見る限り、とてもひどいので現地に取材に行くことは
困難だろうし、ここでもやはりCOVID-19にかかわる移動の自粛要請などで
ダム管理所に行きにくい空気が気温の低下とともに強くなっていました。


そうなってくると
例年通り、洪水時に集めていたデータだけが頼りになってきます。


ギリギリの水位まで貯め込んでいる市房ダムです。


この後、さらに水位が上がり
最高水位は11:00にEL280.60mまで達したと聞いています。
異常洪水時防災操作開始水位まであと10cmでした。

ライブカメラの映像など必死で確保した降雨レーダー画像や
川の防災情報のスクリーンショット、過去のダム訪問時写真等でやらねばなるまい
可能なら電話インタビューになるな…と、現地訪問は半ばあきらめていました。


球磨川のダムは荒瀬ダムと瀬戸石ダムしか見学していなかった自分は
市房ダムについてまず文献調査から開始です。
1960年(昭和35年)のダム業界紙に乗っていた市房ダムの工事記録。


市房ダムは建設省が計画・建設、管理は熊本県。
京都府の大野ダムと同じ経緯で建設されています。
洪水調節のほかに灌漑と発電を行う多目的ダムです。


この図には載っていませんが
市房ダムのすぐ下流に幸野ダムという可愛らしいダムを作って
球磨川の上流部で古くから活躍している灌漑用水路の幸野溝に
発電で水車を回した後の水灌漑用水を供給出来る計画です。
お水を無駄なく大事に使う計画。

色々事前勉強をしつつ
でも今まで行った事のあるダムでもないし
取材の申し込み受けてもらえるかなぁ…と
お世話になっているダム関係の偉い人とかに
ぽろぽろこぼしていたところ
それが回りまわって熊本県土木部河川課の方に届き
突然、取材させていただくことが可能になりました。

最初、何が起きたのか理解できず
洪水調節賞の担当者である星野夕陽様と目をぱちくりさせていました。

とりあえず継続は力なり
継続と実績は信用に繋がると
実感しました。

ダムアワード開催の直前になりましたが
そこで今年の長期休暇をとり、感染対策万全で
九州電力様の揚水発電所と、でんぱつ様の瀬戸石ダムの見学を
お願いしていたので、そこに市房ダムの見学と管理所でのインタビューを
加えてスケジュール組み立てました。



見学前日、人吉市内に宿泊し市房ダムに向かう前に
市街地で球磨川の様子を見る為にやってきました。


5か月近くたっても橋の多くには洪水痕跡が残っていました。


市街の中心から人吉駅前を歩きましたが
川沿いになんでこんなに集中しているんだろうというくらい
病院が多いことが気になりました。
それらの多くは川沿いの温泉街の建物と同じく浸水被害を受けているのです。


国宝の青井阿蘇神社にやってきました。


神社の前に大きな池があります。
架かる橋は高欄が壊れていました。

神社の前で清掃活動をされていた地元の方が
川の方から流れてきた家(建物)が壊して
その流れてきた家(建物)は池の向こうに立っている民家に
ぶつかったのだと教えてくれました。

目の前の池はなんなのかと聞くと、何とここは元々蓮池だったのだそうです。
一面に蓮が植えられていたけれど洪水で土砂が流れ込み
わずかに痕跡をとどめるだけになってしまったとの事。

これだけ大きな蓮池に花が咲いている頃に橋を渡るのは
どれだけ美しい光景だったろうかと思うととても辛い気持ちになります。


そして、この神社のパーキングの横に立っているこの電信柱。

過去の水害の浸水高を記してくれている大切な電信柱です。

今回の水害の水位はなんと写真で映っているギリギリの高さ。
矢印で示している辺りまで上がったのです。


国土地理院のtwitterです。
人吉市の浸水想定図が公開されました。


人吉市で過去に被害を出した洪水
1965年(昭和40年)
1971年(昭和46年)
1982年(昭和57年)
三つの洪水についての記載もあります。

戦後最大だった“昭和40年水害”を70cmも上回っていたと
直後に調査に入られた熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センターの
2020年7月豪雨に伴う熊本県南部における災害調査速報(第1報 加筆版)
に載っていました。


青井阿蘇神社に残る記録で最大級の水深は1669年(寛文9年)8月の洪水で
鳥居の向こうに見えている楼門が3尺も浸かったというものですが
今回の水深はそれを超えたという事です。


拝殿におかれている賽銭箱の上の高さまで水が来たそうです。


現地で一緒に回っていた星野夕陽様が示しているのが洪水痕跡。
黄色い線がそれです。


隣にある本殿の土台の礎石の高さまで浸水していたことが分かります。


人吉駅はすっかりきれいになって洪水痕跡は残っていませんでしたが
ホームの高さまで浸水したとの事です。

T1318(平成25年18号台風)で浸水した亀岡駅のようになっていたのだなと
頭に思い浮かべて見ていました。