本宮砂防堰堤 見学 その3


更に堤体に近づきます。
足元に水路がありますが魚道を突破したわけではありません。

かなり古い水路です。
灌漑用なのかスルースゲートが設置してありました。


古い階段をとことこ上って行くと堤体真横に到着です。
大瀑布の水音と風が吹きつけてきます。


それらしいものがちらっと見えたのでコンデジを手に、目一杯伸ばしてヤマ勘撮影。
「堤堰宮本」の文字。

本宮砂防堰堤は1937年(昭和12年)に竣工した砂防堰堤です。


主堤体の水通し部分はこんなに美しい石張りです。

しかし数え切れない土砂がここを通って行きました。
下流にある横江頭首工の鋼製ゲートに挟まっていたタイヤほどの大きさの石も
ここを超えていったのかもしれません

それらの石は堅牢に作られた堤体を少しずつ痛めつけます。


本堤体の上流を見ると広大な河原が広がっています。

500万m3の土砂が作りだした風景

ここにある土砂は500万m3を超えています。
とてつもない量であるとわかるのです。

ただ、この上流、立山カルデラには
2億m3ともいわれる土砂が今も在るのです。

4億m3の土砂が崩れ
2億m3は富山平野に流れ下りました

  4億m3

それは有峰ダムの総貯水量の約2倍に相当します。

いつ暴れだすかわからない2億m3の土砂
大鳶山と小鳶山の崩れ落ちた一部は
今もいつ動き出すか予測のつかない状態で立山カルデラに在るのです

その途方もない土砂を食い止めるため続けられている砂防工事。

立山を静かに眠らせる事はあまりにも難しいことだとわかっていても
人々の暮らしを守るために続けられている直轄砂防事業。

常願寺川は富山県内だけを走る河川です。

県内だけを走る河川の改修は通常、国ではなく県が対策を講じます。

しかし常願寺川の砂防事業は到底、県だけの力で対応できる規模ではありませんでした。
あまりにも凄まじい災禍を繰り返す川。

1926年(大正15年)からは国の直轄事業として砂防事業が始まりました。
それは
それだけ
この川のもたらす災禍が凄まじいものであるという事の証明でもありました。

この本宮砂防堰堤は69谷が出来た1969年の大水害の時にもここで頑張っていました。

しかし押し寄せる水は下流の集落を襲い堤防を破壊します。

その時にこの本宮堰堤がなかったら被害はさらに拡大したことでしょう。

流れを緩やかにすること
巨石を下流に流さないこと
貯砂で岸辺を守り崩れを防ぐこと


この美しい風景は
今、美しい風景は
“山をも流す川”といわれる常願寺川の一つの顔でしかありません。

穏やかであってくれと願うだけではなく
人々は砂防工事をはじめ
立山カルデラとの戦いを今も続けています。

その成果をずっと本宮砂防堰堤は見てきました。

上流の白岩砂防堰堤と一緒に見てきました。

白岩堰堤を超えた岩
本宮堰堤を越えた岩
横江頭首工を超えた岩

石一つ
岩一つに
その角のとれた丸い姿に
どこから来たかと見上げればそこに立山の姿がある。


本宮砂防堰堤。
それは
立山に来たらぜひ目にしてほしい素晴らしい砂防堰堤でした。