令和6年 灰塚ダム 見学 その1

2024/8/11 更新

温井ダムに会いに行った後、移動してきました広島県三次市です。


ホテルにチェックインして市街地散策。
いきなり出てきました。


中国地方のみならず九州から東北まで、広域で河川の氾濫が発生し
土砂崩れでたくさんの犠牲者が出た大災害“昭和47年7月豪雨”です。

松江市では宍道湖の水位が上がって松江駅まで浸水しています。

事前学習で三次市は大きな被害を受けていたという事だったので
洪水痕跡マーカーを探そうと思っていたのですが
歩いて数分経たないうちに遭遇。


三次市内を流れる江の川と馬洗川と西城川が合流するあたりに
どこまで水が来たかを示すプレートがあると伺っていたので
中国地方整備局 三次河川国道事務所に向かっていますが
道中、次々とここまで来たよと教えてくれるプレートが現れます。

まるでT8210とT8209崩れの低気圧で浸水した奈良県の王子駅前の様。


電柱にもこの通り。
そして川に近づくにつれどんどん浸水位が高くなっていきます。
この電柱では地面から2.7mです。


こちらのお店の軒下では2.8mです。


日付はすべて同じ、昭和47年7月12日です。


単線の鉄道橋脚が道路を横断していてそこにもプレートがありました。


目に留まりやすい高さと実際の高さに二枚です。
かなり川に近づいています。
ここでは3.4m浸水しています。


具体的な数値はなくてもここまで浸かったよと
お知らせしてくれるプレートが街のあちこちにあります。


江の川のマーク。
以前、土師ダムを見学したときに江の川の横でよく目にしました。
江の川は中国地方で一番大きな河川です。


どんどん歩いて馬洗川の横まで到着。
三次河川国道事務所が見えてきました。


躊躇なく玄関ホールに入って資料の棚を見つけて
文献を発見し、やった♪と読み始めようとしたときに
ホールの壁にまたまたプレート発見。


三次河川国道事務所の一階で2.1mの高さまで浸水していたのです。
もちろん当時この建物はありませんでしたからこの場所でここまで水位が上がったという事。


本棚にあった建設省中国地方建設局による“昭和四十七年七月 豪雨災害誌”。


この豪雨で中国地方だけでもこんなに広範囲で浸水被害が出ました。


三次市では西側に、南から北に流れる江の川本川があり
一次支川の馬洗川が東から西に
二次支川の西城川は北から南西にやってきて
市街地で三川が合流しています。


今歩いてきた三次駅から三川合流点辺りまでの
十日町地区が最も浸水被害が深刻だった場所だったのです。


三川合流点に近く堤防を越水して浸水被害が出たのかと
読み進めていくと堤防が決壊したことが大規模に浸水の原因でした。

堤防が切れたのは現在地、三次河川国道事務所のすぐ上流
江の川の一次支川の馬洗川の左岸堤防であるという事でした。