丸山ダムぷらぷら その4


次にご案内をいただいたのは蘇水峡山荘ぷららという宿泊施設の敷地です。


ここにどーんとCCTVカメラが設置されているのです。
現在の丸山ダム管理所のHPで見られるライブカメラ映像のうち
下流面真向の映像はここから送られている物だそうです。

以前は減勢工の横にあった旧・管理所の屋上に
設置されていたカメラで佳様は毎日チェックされていました。

時に、丸山ダムのゲートピアをフレームに満月とか
貴重な瞬間も見逃さないという徹底ぶり。

素敵♪


てくてく歩いて程良くお腹も空いてきたので
お昼ご飯を食べることにしました。

佳様におそばが食べたい♪とお願いすると
八百津町内の美味しいお店にとご案内くださいました。
その道中、良いポイントから眺めた丸山発電所です。


連れてきていただいたお蕎麦屋さんです。
よし蔵さん。


美味しかった〜♪
リッチなそば湯も絶品だった♪
また来よう♪


お昼ご飯を食べたら丸山ダムへもどる途中
八百津町に来たら必ず立ち寄る亀喜総本家様で
栗きんとん他、お菓子をもりもり買いこみました。
おうち用に職場のお土産にしっかり買い込む。

次に佳様が連れてきてくれたのは
八百津の中心街、本町通りをずっと南下して
木曽川に架かる八百津橋と八百津歩道橋のたもとです。


橋のたもとには神社がありました。
なんだかとても移築っぽい配置。
庚申様の碑もあるし。


川神神社という石柱が立っていました。

鳥居の逆の柱の方には金刀比羅神社という石柱があり
立地も嵩上げした感が強いので近辺の神社を合祀したのかと思われます。
手水鉢には平成2年に遷座という文字もありました。


碑文を見ていてびっくりしたのはここです。
まさかの大同電力の文字!!
この石川惇平様を調べたところ
手元の日本発送電記念写真帳にお名前と写真がありました。
日本発送電解散時に北陸支店長を務めておられた方でした。
小坂物集女様は解りませんでした。

「隊長、こっちです」

佳様が進んでいかれる方に足を進めます。

「ここは必ずご案内したいと思っていたところなんです」

神社の横の倉庫のスレート壁に小さなプレートがありました。


T8310
昭和58年台風10号
但し書き操作をした丸山ダム

その時の水位がきちんと町に残されていたのです。

同じ高さで市街地を見れば宅地が皆
川面からこの高さより上になっていることも分かりました。


更に少し川沿いの道を上流に進んでいくともうひとつモニュメントがありました。


T8310災
九・二八災害
“58”
呼び名は色々あっても
それらが示すのは全て同じあの水害です。


モニュメントの上端を示す側面の矢印。
あの日、水はここまで来たのです。

上流では竣工したばかりの新大井発電所も浸水し
下流では美濃加茂市、坂祝町、可児市で大変な浸水被害が出ました。

最大流入量 9月28日 20:00 8217m3/s
最大放流量 9月28日 23:00 7886m3/s

丸山ダムの計画最大流入量 6600m3/sをはるかに超えた水量でした。


丸山ダム見学の時に監査廊で展示してあったパネルの一部です。

昭和36年6月梅雨前線 Qin5000m3/s
昭和39年9月台風20号 Qin6100m3/s
昭和47年7月梅雨前線 Qin5760m3/s
昭和58年9月台風10号 Qin8200m3/s
平成11年7月梅雨前線 Qin5100m3/s

丸山ダムの洪水量は4800m3/s
それを超過したのはこの5回です。

その内の一回
T8310が但し書き操作、今でいう異常洪水時防災操作に至った大出水だったのです。


新丸山ダム建設工事が着々と進んでいます。

構造物としての丸山ダムはいまでも堅牢です。
老朽化で新しいダムが造られるといった誤った情報発信をしている
ダムをよく知らない人もいますが丸山ダムは健全です。

ただ
防災インフラとして
求められているのは構造物としての堅牢さや健全さではなく
その仕事で
その能力なので。

今の丸山ダムの洪水調節能力では不足なのです。
求められる能力の方が大きいのです。

けれどこの場所は
あまりにもダムに適した最高の立地であったが故に
堤体を離れたところに造ることは困難で
そして木曽川の洪水量は桁違いなので
堤体の上にそのまま嵩上げをすることも困難で
丸山ダムの足元にかぶさる形で新丸山ダムが造られることになりました。

下流の橋やダム周辺の道路、展望台
工事が進めば少しずつ見られるポイントも限られてくるでしょう。

COVID-19が落ち着いたらたくさんの方に来てほしい八百津町と丸山ダムです。

ダムマイスター仲間の佳様に丸山ダム愛いっぱいで御案内頂いたレポートでした。