高岡輪中堤 その3


堤の角から第1陸閘方向を見たところです。


堤の角から川側の堤を見たところです。


川側の堤を上流方向に歩いて行きます。
対岸にも家々が見えています。


上流側の陸閘が見えてきました。


陸閘のある堤の手前に水路と樋門があります。


こちらには排水ポンプはなかったので洪水時に樋門を閉める
シンプルな構造のようでした。


陸閘と同じく樋門にも名前がついています。


上流側の堤です。
こちらも上下流で行き来できるように階段がありました。


堤の角から川側を見たところです。
写真左側が堤内地。
堤の右側に相野谷川です。


上流側の陸閘が格納されているところになります。


下流側が第1、上流側が第2でした。


第2陸閘の水位標では一盤下は7.5mでした。
第一陸閘と1.5mくらいの差があることになります。


第2陸閘を外から見たところです。
入ってすぐのお宅は堤内地でもとても高い所に石垣の上にたてられていました。
輪中堤ができる前から建てられていたお宅なのかなと見ていました。


第2陸閘から相野谷川方向を見たところです。


第2陸閘から堤内地に入ってすぐの所に鉄柱と説明板がありました。


赤・青・黄・緑の線。
それぞれが何を示しているのかの説明文です。

赤色:災害基準高さ
    「紀宝町災害危険区域に関する条例」高さ
    TP+9.40m(世界測地:TP+9.503m)

青色:平成23年8月30〜9月5日
    台風12号 最高水位 (痕跡水位)

黄色:平成9年7月26日
    台風9号 最高水位 (痕跡水位)

緑色:平成2年9月19日〜20日
    台風19号 最高水位 (痕跡水位)

と、あります。 

高岡地区の輪中堤ができる前
平成2年と9年の台風被害ではそれぞれ、この黄色、緑色の高さまで
浸水被害があったのです。

左右から山が迫った蛇行の少ないほぼ直線の相野谷川。
昔から水害が繰り返されてきた土地だったのでしょう。


横の鉄柱に赤、黄、緑の印はありますが青色の印が見当たりません。


もっと高いところかなと少し目を上げても見当たりません。

しかし鉄柱がとても高く造られているので
まさかと思いつつ視線を上げていくと…


…!!
まさか
この高さ??


あの大水害で上がった水位。

青色の印はこんなにも高い所にあったのです。
鉄柱の2/3程の高さに付けられていました。


あまりの高さにしばらく呆然と鉄柱を見上げていました。

この場所であの高さまで水位が上がったなんて
ここにあった輪中堤も全部乗り越えて浸水した写真
屋根しか見えていない写真
発災直後の写真をいくつも思いだしました。


相野谷川土地利用一体型水防災事業【事後評価】


輪中堤が造られてから浸水被害はぐんと減っているのです。

相野谷川沿いの3つの地区に輪中堤が完成してから
何度も台風はやってきて
何度も浸水被害は軽減されて
お住まいだった人たちはきっと輪中堤を信頼して
この整備事業に感謝しておられたはずです。

しかしあの台風12号は何もかもが桁外れでした。

通常の台風とはかけ離れた振り方の雨でした。
地形性降雨に台風のスピードが遅かったことが加わって
96時間にも及ぶ大量の降雨が紀伊半島南部を痛めつけたのです。

穏やかな相野谷川。

10年前、この写真に見えている平地はすべて水没していました。

本川との合流点に水門を造り
排水機場を造り
住むところを守る輪中堤を造ったそのプロセスは
川の整備は下流からというとても筋が通ったものです。

完成までに年月がかかり費用も桁外れに大きくなる上に
土地利用が制限され、平地も少なくなってしまう連続堤防でなく
コンパクトに守るべき場所を決めて設けられた輪中堤は
考え方としてとても妥当だと思います。

なのに
あの台風で越水したから
あの時に堤内地を守れなかったから
という理由で無駄な整備だといわれるのは
あまりにも悲しいです。

完成してからずっと浸水被害を食い止めてきていたのです。

たった一度の但し書き操作で
下流に浸水被害があったという事で
能力不足と評価を受けてしまうダムと同じ辛さを感じます。

紀伊半島大水害から10年目。
訪れた高岡輪中堤は少し悲しげで
でもすべき役目は果たしますと川を見つめているようでした。