起伏堰の事 その1

2012/7/20 更新

起伏堰というものがあります。
今では鋼製の物が主ですが昔は木材と鉄でできているものが主でした。

あちこちの河川の資料館、博物館などで昔の堰を写真・模型で見ていて
印象深かったものをいくつか写真に撮っています。


寒風吹きすさぶ中、やってきましたのは信濃川河口近く。

信濃川大河津分水資料館の紹介をご覧ください。
川を勉強するなら絶対にここは行っておきなさいと
いつもお世話になっているダム技術者の方から勧められてやってきました。

大河津分水は最近、新しい可動堰が竣工しました。
模型を見ても信じられなかった大長径間のラジアルゲート。
扉体の大きさはなんと40mという新可動堰。

それも興味津々ですが、大河津分水はたくさんの史跡があり
資料館も資料も凄い量で見始めたらたぶん一日潰れるというアドバイスも貰っていたので
午後から別の場所に移動しなくてはならなかったこともあり
資料を絞って見ることにしました。
大河津分水のレポートはまた別に書くことにします。


宮本武之輔技師の功績を説明するこの展示。
日本を代表する土木技術者の中でも飛びぬけているのが
青山士技師と宮本武之輔技師と八田與一技師。

パナマ運河に関わった青山士や烏山頭ダムを作った八田與一の蔭で
国内の大工事を指揮した宮本武之輔技師の活躍は
お二人に比べると少し知名度が低いかもしれません。

宮本武之輔技師は信濃川可動堰を造った技術者です。

度重なる洪水の対策として造られた大河津分水。
それは川をショートカットして分水路を作り大雨のときには
洪水を流す機能を持たせるという難工事でした。

それまで堰というと琵琶湖の南郷洗い堰のようなピアの間に
角材をはめ込んで水位を調節する角落としタイプでしたが
大河津分水では自在堰という名の特殊な構造を採用しました。

しかし、この自在堰は信濃川の大水量と度重なる洪水の前に
竣工して5年で堰の下に洗掘が起きて陥没するという被害を受けてしまいます。
大河津分水に可動堰を作るのに尽力したのが宮本武之輔技師です。

しかし完成間際の可動堰工事現場に押し寄せた洪水に宮本武之輔技師が下した決断は・・

もう涙涙なので興味のある方はぜひ、資料館に行ってみることをお勧めします。


という事で宮本武之輔技師の仕事に感動するために資料館に行ったのですが
あまりにも貴重な資料が多すぎて目移りするする。

そんな中、洗掘によって壊れてしまったという初代の自在堰についての展示が気になって仕方がない。


で、資料館には引き出し式で図面が見られるところもあって
こんなすごいものを被りつきで見ることもできます。
これが大河津分水で採用された初代の自在堰。

岡部三郎技師の設計によるベアトラップ式自在堰です。

現場の説明板によると
『日本初のベア・トラップ式を採用(上流・下流扉の間に中間扉をもつ独自の改良型)。
河床に水平に伏せ込まれた鋼扉を圧搾空気と水位差より生ずる水圧によって上下させて開閉する構造』
とあります。


断面図を見ても分かりにくいので壁には稼働する模型があります。
これは倒伏しているところ。

まず扉体の下に水を通し、大きな方の扉体の中に空気を送り込みます。


これが起伏して水を止めているところ。

空気の入った扉体と扉の下に流れ込んでくる水の圧力で鋼製扉が浮き上がるんです。


で、ロックされて起立完了。
倒したいときは水と空気を抜けばよし。

この仕組に感動しました。
こんな素晴らしいゲートがわずかな期間しか活躍しなかったなんて。
もし河床の洗掘、陥没がなければ使われていたかもしれないと思うと
どこかにこれと同じ仕組みの物が残っていないのかと気になって仕方がありません。

ホントに大河分水津資料館は素晴らしい。
立山カルデラ砂防博物館級の資料です。
新潟県の宝物だと思います。