市ヶ原 その3


フェンスが細かく土地を区切っている道路沿いで少し開けた場所に出てきました。
そこに説明板らしきものがあります。
いそいそと近づいて見ると…


国土交通省 六甲砂防事務所様が立ててくださった現地説明板でした。


六甲山で起こった災害事例の写真です。
この5枚は昭和一三年の阪神大水害の時の写真です。


そして下の3枚、これは事前学習で読み込んできた
関西の土木100年にも載っていた市ヶ原地区の地滑り発生直後の写真と
自衛隊の皆様による被災者救出作業の写真
そして現在の地滑り跡地の写真になります。

“昭和42年7月9日の集中豪雨では、当地で発生した山津波で
子供を含む21名の犠牲者が出ました。”

この場所がまさに被害の中心部でした。


中央にはこのエリア、生田川の流域が示されています。
流域内のハイキング道に川筋。
砂防堰堤の位置なども書き込まれていました。


現在地はここです。
市ヶ原堰堤から300m程上流です。


砂防事業の説明もあります。


平成元年に完成した砂防堰堤の紹介です。新市ヶ原堰堤。

“六甲山地の385番目の堰堤として完成しました”
とも書かれていて、六甲砂防を知らない人はこの数字に
なんて砂防ダムがたくさんあるんだと思ってしまわれるかもですが
実際は1桁多いくらいあるけれど、ナンバリングされていない物もおおくて
実数は分からないとお聞きしているので
名称や位置がはっきりしているものだけで385番目なのだなと理解しました。


道が続いているのでもう少し先まで進んでみようかと奥に向かいました。


途中で新市ヶ原砂防ダムという看板が出ていたので
ハイキングルートを外れてそちらに進みましたが…。


砂防堰堤に突き当たって行きどまりでした。


砂防堰堤までの道はこんな様子でしたからお勧めしません。


来た道を引きかえします。


雲中小学校同窓生…という文字が記された記念柱もありました。
側面には昭和四十二年七月九日山崩より三十六年…とありました。

雲中小学校というのは神戸市立で現在も続いている学校です。
とても歴史の古い小学校のようですので
この土砂災害で在校生がお亡くなりになって
この柱が立てられているのかなと思って見ていました。

◆ ◆


市ヶ原を後にして布引五本松ダムまで戻ってきました。
今日も綺麗だね。
120歳とは思えない美しさだね。
はらはら水位だけど。


布引の糸のような滝。
名勝に水が流れないとこんなに悲壮感漂うのかと。
そりゃ、華厳の滝がダムで水量コントロールするわけだと
この姿で強く納得しました。


布引渓流最後の雌滝取水堰堤もこの状態です。
大雨が降るとものすごいダイナミックな越流をするところなんですが。

ということで
前線性降雨の中で発生した集中豪雨で大変な土砂災害が起きた場所を
ゆっくり歩いて見学してきたレポートでした。

大雨は嫌ですが少雨も嫌です。
程良い雨が降りますようにお祈りします。