安治川大水門 見学 その3


解説をくださる職員の方が下流側にUSJが見えると
教えてくださったのですが興味ないので
目を凝らして探さないと発見できない始末。


なので大好きなゲルバートラスの港大橋がこの角度で見られるのには大喜び。

関心のある物と無関心な物に対して脳みその反応が正直。


壁際まで近づいて良いと許可を頂き
直上流を見下ろしました。


T1821であの辺りまで水位が上がったのか〜と扉体を眺め
操作している方はどれだけ怖かっただろうかと考え
ちょっと寒気が。


バイザーゲートのアーチの天辺、ヒンジ部分拡大。
リベット大好き。
リベット最高。


施設見学を終えて上がり始めた扉体に慌てながら
最初に眺めていた橋に戻ります。
いそげいそげ。


どんどん扉体が上がって行きます。
いそげいそげ。


副水門も開いています。


扉体の横の放水銃から洗浄水がばしばし扉体に届いて洗い流していました。


今度は少し右岸側に陣取って眺めます。


あ、次回予告。
3月が4月に点検中にチェンジされていました。

2019年の2月にショックなニュースが流れました。
大阪が誇るこのバイザーゲートが設備更新で姿を消すというのです。

令和元年の大阪府河川整備審議会
「三大水門の更新に係るこれまでの検討経緯」

理由は巨大地震による電源喪失があっても安全に降下させることができる
ローラーゲート式にするためだという事でした。

そう言われてしまうと
確かにその通りなので

人とくらしを守る防災インフラとして
進むべき道として正しいので

この超絶カッコいい姿が見られなくなるのはとても悲しいけれど
仕方ないことだと頭では分かります。

頭では。


全開になったゲートの基部で防塵スクリーンも閉まって行きます。


閉鎖完了です。


この後、水門の上下流に張られた緩衝チェーンが沈むと
本日の点検運転が終わります。


安治川大水門の管理棟の前にバイザーゲートの形の記念碑があります。
フェンスの外からも見ることができます。


ヒンジ部分に大阪府章が刻まれています。
昭和45年に安治川大水門が竣工した時の記念碑になります。

尻無川と木津川の水門は同じ年に竣工ですが
安治川が3月に竣工に対し8か月遅れての11月完成なので
3基分の記念碑です。

文字を見ていて
ここでぶわっと涙が出そうになって
ぐっとこらえました。

1970年
昭和45年
大阪万博の開催された年

美浜原子力発電所からの電気が届いた大阪万博の会場。

大阪万博の開催された頃はまだ
明るい未来が開けているという夢が世にあふれていました。

この大阪万博のテーマ
それが 『進歩と調和』 です。

progress and harmony

50年前の夢。

50年、大阪の街を守ってきました。

そして役目を終えることが決まりました。

今までの殊勲がどれだけ素晴らしくとも
その能力を上回る効果を求められたなら
より能力を持つ設備に役目を譲らねばなりません
防災インフラの宿命です。

進歩と調和

技術は50年の間に進歩しています。
そしてこれからも進歩して行きます。

人の暮らしを守り
舟運を妨げることなく
水都大阪の
川と人を安全に近づける役目で
調和をとってきました。

この大水門の仕事を引き継ぐ二代目にもそのスピリットは受け継がれていくはずです。

改築する三大水門の景観検討方針について

一般からも意見を募集するということなので
大水門を大好きだという気持ちをこめて意見を送ろうかなと思ったりしています。

でもステンレス製で塗装なしという条件が付いているので
今の赤青緑を引き継いでもらうのは無理っぽいですが。

まだ更新工事が始まるまでには年単位で時間があります。

大阪に来たらぜひ会いに来てほしい大水門でした。