内日第1ダム 見学 その4


中に入るといきなりバルトンのコーナーが!!
いちばん有名な和服姿のバルトンの写真をはじめ
ゆかりの建築物やいろんな資料がいっぱい展示されていて
きゃーきゃー騒いでしまうくらい内容が濃い。


そしてこちらのお写真。
内日第1ダムと高尾浄水場を設計した瀧川釼二技師と
土井幸正技師の写真です。
前で座っているのが瀧川釼二技師です。


帝国大学でバルトンに師事し、学んでいた技術者です。
なんと42歳で夭逝されています。

内日第2ダムの完成時にはもう他界されていたのですね。


内日第1ダムの横の記念碑の裏側です。


瀧川釼二技師の名前がばっちり刻まれていました。
工學士。
カッコいいなぁ〜。
この響き、ほんとにカッコいい。


こちらの説明パネルは明治時代に各地の港町で
近代水道が必要とされた経緯です。

横浜も神戸もみんな同じ理由。
伝染病の予防のために近代水道は必要だったのです。


そして近代水道を設置しなくてはという機運は高まりますが
どの都市もまずその莫大な工事費用に二の足を踏みます。

下関もバルトンが現地調査を行ってから10年目に
ようやく予算を確保して着工し、調査から15年目に竣工しているのです。


そして目にした瞬間に大騒ぎしてしまったのがこちらの図面です。
内日第1ダムと取水塔の断面図です。

現地では生い茂る葛ではっきり確認できなかったけど
図面を見たらちゃんと書いてありました♪

下流面は2割の勾配で貯水池側は3割の勾配です。
貯水池側は堤体の表面を三層にしてあり
粘土>裏込栗石>張石となっています。
粘土でセンターコアが作られています。
天端から貯水池側の接続部には波浪除けの石垣などはありませんが
ここだけは2割の勾配になっています。


これは工事中の写真です。
内日第2ダムです。


こちらも内日第2ダムの工事写真です。
堤体の中央の底あたりと思われます。


竣工記念でつくられた絵ハガキなども展示されているので
見ていてほんとに楽しいです。