神子畑 周辺 MIKOBATA area

神子畑選鉱場 周辺施設

@保育所跡
A神子畑小学校跡・体育館

@間歩谷ダム
A山神社跡(現在は遷宮して不動明王社)
B水わさび試験場跡
C山神社宅跡地
D協和会館(福利厚生施設)跡
E第6変電所
F鉱山事務所
G神子畑選鉱場
H鉄工所
I資材倉庫
Jモーター倉庫跡
K電気倉庫・分析室跡
L診療所(ムーセ旧居として移築工事終了)
Mトラック計量場跡
N正門守衛所跡
O木工所・木工倉庫
P文化会館(卓球、柔道、撞球場)跡
Q明延鉱業所購買会・神子畑売店
R協和会館・別館(映画館)跡
S軽量骨材試験プラント(鉱山運動場跡地)


@保育所跡

神子畑選鉱場の南西にある間歩谷ダムの下に神子畑保育所がありました。
現在は建物の跡地だけで面影はありません。
昭和47年に同町内の佐嚢保育所に統合されました。


A神子畑小学校跡・体育館

神子畑小学校は神子畑分校としてこの場所に建てられました。
昭和29年に建てられた校舎は残っていません。
現在残っているのは体育館だけです。
昭和44年に神子畑小学校と名前を変えましたが昭和47年に閉校しました。

校舎はこの体育館の北東の一段高い場所に建っていました。
体育館の南西、間歩谷ダムまでの間に小さなグラウンドがあります。
遊具がまだ錆付いて残っています。

 

@間歩谷ダム

間歩谷ダムは選鉱過程で最後に残る尾鉱を捨てるための堆積場です。
採掘されてきた鉱石の大部分は尾鉱となります。
各地の鉱山で堆積ダムはありますが神子畑ではこの間歩谷ダムと
選鉱場の北側にある鳥ノ奥ダムが該当します。

A山神社跡(現在は遷宮して不動明王社)

神子畑小学校の小さなグラウンドの奥にお社がぽつんと立っています。
昔はこの場所に山神社が在ったそうです。
神子畑にたくさんの人が居た頃にはお祭りが行われ大変賑わったそうです。

明延鉱山が閉山し神子畑選鉱場が役目を終えてしまった後、山神社は別の場所に遷宮されました。
現在、祀られている不動明王は間歩谷ダムの奥にあった不動明王社を遷宮したものです。

B水わさび試験場跡

選鉱場の周囲には社宅がたくさんありました。
山神社の前にあった宅地は建物が撤去された後に神子畑の綺麗な水を利用して
わさび栽培ができないかと転用されました。
わさびを作ることができるかどうかの試験プラントが鉄パイプだけになって残っています。

C山神社宅跡地

小学校前の一段低い平らな場所は山神社宅跡です。
選鉱場の前を流れる神子畑川に沿って社宅は下流の鳥ノ奥ダムの前まで
たくさん並んでいましたが、現在は神子畑に鉱山とは別に
元々住んでおられた方々の住居ばかりになっています。

D協和会館(福利厚生施設)跡

鉱山に勤めておられた方々の福利厚生施設として建てられた協和会館は
現在は更地になっていて往時の姿を思い描くことは困難です。
昭和10年に108坪の規模で選鉱場正面の鉄工所の横にありました。

E第6変電所

選鉱場敷地内で残っている電気関係の施設です。
近々、予定されている神子畑選鉱場前の道路拡幅工事で撤去される
区画から外れていると思われるのですが保存されるかどうかは不明です。

F鉱山事務所

鉱山事務所は現在も明延鉱業の方が出入りして管理を続けておられるので現役の建物です。
入り口に三菱のマークが入っています。
中は質素に見えますが天井が場所によっては非常に豪奢な造りになっていて
明延鉱山の繁栄を物語ってくれるようです。

G神子畑選鉱場

神子畑鉱山は明治12年に開発され大正2年まで銅の採掘を続けていました。
その後、明延鉱山から良質の錫鉱が大量に採掘されるようになった為に
生野と明延の中間に位置する神子畑は選鉱場として生まれ変わりました。

大正8年に現在の選鉱場の基礎部分が作られ昭和9年、12年、13年、14年、15年に拡張工事が行われ
現在の姿と成っています。

H鉄工所

選鉱場側から(左)   神子畑川側から(右)
選鉱場と神子畑川との間に残っている建物で一番大きなものが鉄工所です。
鉱山で使用するさまざまな機械の整備、作成などを行っていた場所です。
現在の県道は神子畑川の右岸を走っていますが拡幅される予定の県道は左岸に移る為、
敷地内の建物は撤去を余儀なくされる可能性が高く、一番川に近い為、鉄工所はまさに
道路予定地の真上です。

I資材倉庫

鉄工所の横に並んでいるのは資材倉庫です。
朝来町が製作した神子畑選鉱場の記録ビデオ『最後の鉱石を追って』の中で
従業員の方々が始業前のラジオ体操を行っているシーンが出てきます。
それがこの鉄工所と資材倉庫前のスペースでした。

Jモーター倉庫跡

資材倉庫と神子畑川の間で鉄工所の横にある一回り小さな建物がモーター倉庫跡です。
現在も堆積ダムや敷地内の水をろ過するモーターの管理の為に機械が現役で動いています。

K電気倉庫・分析室跡

手前にあるコンクリートの土台部分に電気倉庫と分析室がありました。
鉄塔の向こうにあるのは工事中のムーセ旧居です。

L診療所(ムーセ旧居として移築工事終了)

つい最近移築工事が完了したムーセ旧居は元々生野にあったものを神子畑に移築したものです。
生野鉱山が招聘していたフランス人鉱山技師の一人ムーセが住居として使っていたといわれる建物です。
選鉱場への入り口の橋を渡ってすぐ左にあったのですが道路拡幅工事の為に修復・移築が
行われることになり、移築に告ぐ移築で現在の場所(電気倉庫跡)に落ち着きました。
県の指定文化財です。
神子畑では診療所として活用されていました。

選鉱場をバックにとても綺麗な異人館として整備されました。
各部屋にマントルピースがあり廻り廊下があり、診療所時代の形ではなく
生野から移築された当時の形に修復されています。

Mトラック計量場跡

神子畑選鉱場の入り口の橋を渡ってすぐ右出にそびえる巨大なシックナーの前に
トラック計量所がありました。現在は跡形もなくなっています。
神子畑では昭和32年からトラック輸送が始まりました。

N正門守衛所跡

神子畑川の橋を渡ってすぐ右の四角いスペースに守衛所がありました。
現在は建物は残っていません。
選鉱場撤去工事の期間を示す工事用看板が立っています。

O木工所・木工倉庫

守衛所の横に並んで立っているのが木工所と木工倉庫です。
神子畑川のすぐ横にあるので外側が県道からよく見えます。
窓ガラスが割れていたりトタンがはがれていたり痛みが激しいです。

木工所の窓からは立て掛けられた一台の浮遊選鉱機・ウィルフレーテーブルを見ることができます。

P文化会館(卓球、柔道、撞球場)跡

選鉱場の前から北に進んで県道の横に更地がいくつか残っています。
現在は木が茂ってしまったこの場所には文化会館がありました。
従業員の方の憩いの場として活用されていました。

Q明延鉱業所購買会・神子畑売店

鉱山町に必ずある購買所。
現在はその横が除雪車のパーキングに使われている購買会の建物です。
入り口には三菱のマークが入った立派な看板が掲げられています。

R協和会館・別館(映画館)跡

購買所の建物すぐ北側に大きな更地が残っています。
ここにはもうひとつの福利厚生施設がありました。
映画館として活用されていた協和会館別館です。
現在はまばらに植えられた木しか見えない広場になっています。

S軽量骨材試験プラント(鉱山運動場跡地)

鉱山が所有していた運動場の跡地に作られた軽量骨材試験プラント跡は
現在、撤去工事で出てくる廃材の一時保管場所になっています。

鉱山で出てくる尾鉱の有効利用ということで骨材に転用する為の試験が行われていた施設でしたが
当時はコストパフォーマンスの問題で運用はされなかったようです。
リサイクルが盛んになった現在は精錬でできるカラミを含め、様々な資源が活用されるようになっていますが
当時は採算ベースに乗るものは作れなかったのでしょう。

 

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