日立鉱山見学 その9
日鉱記念館を出て大雄院に戻ってきました。
駐車できそうな場所を探してかなり離れた場所に車を停めました。

日立鉱山の写真はどうして皆あの角度からのばかりなんだろうかと
思っていましたが敷地の前を県道が走っていて、電線があって、
確かに敷地外からではあの角度からじゃないと写真撮れないのだと
現場に来てはじめて納得できました。

大雄院精錬所の遺構の上にそびえる大煙突。

敷地の端にはシックナーらしい建物と現行の建物の融合がありますが
中に入らないと全貌は見えません。

現在は製錬部門(日鉱金属)が操業を続けています。
突然個人が押しかけて見学できる状況では到底無いです。

ひたすら県道沿いをうろついて姿を見るほかありません。

大煙突がそびえていた頃。
この写真の上の端まで高さがあった煙突を思います。
大正3年に完成した日立の大煙突。
当時としては世界一高い155.7mの煙突でした。
国内の大規模な建設現場には必ず欧米人の技師が指導を行っていた時代に
この大煙突は日立鉱山工作課が設計し、日本人だけの手で作られました。
日立鉱山が設置した気象観測所の情報で、上空には逆転層という
空気の層があり、地上から上がった煙は、その層を超えられずに、冷えて
低空に降りて来る事が判りました。
日立創立者・久原房ノ助は鉱山精錬の煙と同じく、火山が噴火しても大量に
亜硫酸ガスは発生するのに自然に対して深刻な影響を与えないのは
何故かという疑問と、気象観測のデータをもとに、周囲の反対を押し切って
社運を賭けた正規の大建設計画を発動させます。
逆転層を突き抜ける煙突を立てることで煙は拡散されるという発想でした。
そして大煙突完成後、煙害は激減したのです。
別子銅山に居た方がペテルゼン式脱硫装置を語る時の誇らしげな顔を
私は忘れる事が出来ません。
同じように、この日立の地で大煙突は誇りであると信じてやみません。
平成5年、突然、大煙突は崩れました。
視界の中をゆっくりと崩れていく姿を、突然の事にただ呆然と見ていた方の
お話が『大煙突の記録』に書かれています。
現在は54mと往時の1/3の高さになってしまいましたが
地元の方にとって大煙突は瞼を閉じればすぐにでも蘇る事でしょう。
煙害について
鉱山マンの誇りについて
地元から愛される鉱山として
日立鉱山への旅は本当に胸が一杯になる勉強になる旅でした。
参考文献:『大煙突の記録 〜 日立鉱山煙害対策史 〜』