徳山村地内 その3

櫓の前には現在の藤橋村に吸収された徳山村の由来が書かれた看板があります。


福井県との県境です。

地図から村の名前が消えました。
でもここは全国的に有名になった土地です。
それは工事中止を求める団体がマスコミを使って騒いだからです。

下流域の人々の水害対策をという声はそういう団体にはどうでもいい事ですか。
その人たちの声に応えてダム建設に同意し、長く住み慣れた土地を離れる事を
決断した村人こそがダムについて語るべき言葉を持つ筈なのです。

保証無しに出て行けと開発公団は言っていません。
ちゃんと流域の人々の住居も保証しています。

環境保護団体の人たちは工事が始まってもう止められないと解った時に
次のターゲットを探しに行くものなのか私はずっと気になって仕方がありません。
差し詰め次の獲物は熊本の川辺川ダムでしょうか。

無駄なダム建設が多いと問題にされる理由は確かにあるのかもしれません。
でもダムが無かったら今度は洪水対策をしろと言うのじゃないのでしょうか。
どうやってするのか実行可能な実績のある具体案を出してから言ってくれと
思ってしまいます。


周囲を見ると殆どの家屋がもう姿をとどめない中に小学校の建物が残っていました。


川の方に進むと橋がそのまま残っています。


近くに行く事は出来ます。
でも向こう岸にはもう工事の土砂があって工事現場内になるので
渡っても何も見ることは出来ないようです。


昔は徳山村の主要道路だったようです。
この橋の向こうには中学校があったということでした。
徳山地区には147世帯がありました。
徳山村で一番人が多い場所だったのです。