中川煉瓦製造所 本店 その1

明治時代の建物にはあまりセメントが使われていません。
大きな建物には煉瓦が良く使われていました。
明治時代の末にセメントという物は国内で知られていましたが
その品質も性質もまだ不安定で技術者が少なかった事もあり
強固なものは中々作られず残っている物も少ないのが現状です。
でも中には今のコンクリートの強度を上回る素晴らしい物も
あるのです。非常にむらがあったといえると思います。

そんな中、しっかりした建物を作る為に大量の需要があったのが
煉瓦でした。

滋賀県の近江八幡市に煉瓦を作っていた工場が残っている
しかもホフマン式輪窯が残っていると耳にしました。

調べてみると現在は高齢者の福祉施設が用地を買い上げて
いるらしい事、保存状態もよい事が判りました。

早速、愛車に燃料を入れて出発です。


大体このあたりかな〜とのんびり走っていると突然、煙突が
視界に入ってきました。

福祉施設のパーキングに車を停めて真横にそびえる
煙突を見上げます。

でっかい煙突です。
舞鶴の神埼ホフマン式輪窯のうなだれている大煙突より
9m高い33mという事ですが、ピンと背筋を伸ばした姿は
もっともっと大きいように思えます。

福祉施設の事務所に向かいました。
見学したいことを伝えると気持ちよく案内してくださいました。

「草刈りもするんですけどすぐこんな風になってしまいます」
ホフマン式輪窯は古代遺跡のように草に覆われていましたが
それが又とても綺麗で素敵です。

「ここから入って中を御覧下さい」
なんと中まで入らせてもらえると思っていなかったので
嬉しさ満開です。

入口の煉瓦には熱の痕跡が残っています。
こうして部分だけ見ると古い建物の入口のようですが
あくまでこれは「窯」です。