二度死んだ砲台 その4


そして壁に立っているパネルに目をやった時
愕然としてしまいました。

 

そこに在ったのは写真です。

 


兵隊さんの集合写真です。


こちらも兵隊さんの写真です。

この砲台に縁のある人々の写真なのでしょうか
それがこんな状態になって
カビで朽ちて

そしてそれが放置されているのです。

パネルに印刷しての複製かもしれませんが
写真を提供してくださった方の気持ちを踏みにじるようなこの有様。

 


これは市街地の写真のようなのですが判然としません。

←クリックで別ウィンドウで見られます(422kbあります)。
もう一つのパネルには『岸根砲台の歴史』とタイトルが読み取れました。
文字はカビで一部しか読めません。
「美能砲台跡について」と「バルチック艦隊」の文字は判別できます。

三高山砲台跡で観光説明板に書かれていた内容よりも
かなり詳しく書かれているのだけは文字の量でわかりました。

 

ここに紹介されていた資料は別の場所で公開されているのでしょうか。

 

以前、訪れた鉱山町で耳にした嫌な話を思い出しました。

町の人が大切にしていた写真や資料を資料館を造るからという事で
町に寄贈したのに資料館を造る予算が無いと放置されてしまい、
寄贈者が心配になって引き取りに行ったところ倉庫で埃を被って
カビや水で汚染され原形を留めないほどになってしまった資料を
発見して情けなくなったという話でした。

 

それと同じことになっていたら

ここは誰の為の記念館?

ここは砲台跡で同時に砲台に関わる歴史資料公開の記念館として竣工したんでしょう?


 

どうしてこんなことになっているんですか?


 

あかんやん
こんなことしたらあかんやん

何でわざわざ改修したのにこんな酷い事になってるんや

こんな事になるくらいやったら改修せんと
そのまま遺構でおいといてくれたらよかったんや

わざわざ壊さへん限り
砲台なんか頑丈に造ってあるのに
崩れたりせえへんやんか

 

何で生き返らせたのにもう一回殺すような事したんや

 

軍の遺構を訪れて、こんなに腹立たしいやら悲しいやら
言い様の無い嫌な気分になってしまったのは初めてです。

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