二度死んだ砲台 その1

広島の江田島市にある沖美町。

ここに旧軍の砲台跡があると聞きやってきました。

町でいちばん有名なのは三高山砲台跡というところです。
沖美町の南東にそびえる標高400mあまりの山の頂上に
砲台跡があるという事で、まずここに向かいました。


林道砲台山線とかかれた看板です。
旧軍の軍用道路としてつけられていた道を改修したそうです。

砲台跡には公衆トイレと駐車スペースがあり
説明板もきちんと立っています。
草刈もされていて見学しやすくなっていました。

 


道に在った観光地図。
スカイロードという名称はぴったりです。
香川県の屋島を思い出しました。
断崖絶壁と呼べるほどの高さから
海が直下に見えるこの地形は素晴らしいです。

三高山砲台跡は案内標識ですぐに辿り付けました。

しかしすぐ近くにもう1ヶ所、狙っていた砲台跡がありました。

それが岸根砲台跡です。

 


この通り観光地図にもちゃんと
「がんね鼻砲台跡」とかかれているのですが
三高山砲台跡と違って案内看板、標識の類が全然ありません。
地図だけを頼りに道を探しましたが集落の中に進んでいかなくてはならない上に
何回か入った道はことごとく行き止まり。

とにかく道が見つけられず途方にくれていたところ
自転車の籠に釣りたてのタコを入れたお兄さんが声をかけてくれました。

「どこか探してるの?」
「砲台を...」
「砲台跡はあそこ(三高山砲台のある三高山を指差して)」
「いえ、この近くの岸根砲台跡というところを...」
「あぁ、がんねの砲台ならこの道上がっていけば着くよ」
「自動車でいけますか?」
「いけるいける」

と、道を突然教えて下さった後、風のようにお兄さんは去っていきました。

そして教えて頂いた急勾配の舗装路を登って進んでいくと
一山越えて浜辺に出てきました。
砲台のある、がんね鼻の付け根にある海水浴場です。

冬の夕暮れ前、誰も居ない海岸の駐車場に車を停めて
目的地に向かいました。


 

そしてたどり着いた砲台跡で
目を覆いたくなる惨状に遭遇しました。

あまりのショックに半ば呆然となりながら浜辺に戻ってきた時に
地元の方の車が来ているのを見つけました。
この浜辺にある民宿のオーナーでした。

いつもの小汚い格好だったので不審がられるだろうなぁ
と思いつつご挨拶をしましたらニコニコと対応してくださいました。

「どこから来たの?」
「奈良からです」
「奇遇だね。うちの娘も奈良に居るんだよ。○○○というところ。」
「うわー!むちゃくちゃ近くです。○○○。」

ということから、いきなり凄く地域限定コアな会話が展開され盛り上がってしまいました。

さらに三高水源地の新しいダムを見てきたというと
これまた地域の人にしかわからないコアな話を聞かせてもらえました。
そして立ち入り禁止状態の道路を突破して岸根砲台に行って来た事を暴露しました。

「ちょっとお聞きしたいのですがこの上の砲台跡のことで...」

「あ、見てきたの?凄い事になっとったでしょ」

「一度整備された跡があったんですが...悲惨な状態になっていますね。
町はどうして放置しているんでしょう。」

「最近、合併があって江田島市になったんだけど市はあまり興味を示さなくてね」

「整備は沖美町で成されたのですよね」

「そうそう。でももっと綺麗な砲台がこの目の前の鶴原山に在ったんだけど
そっちは壊しちゃったから町のやる事はおかしいねぇ」

「こわした!?」

「鶴原砲台跡の方が煉瓦とか綺麗だったんだけどね。
広島空港が今の場所になる前はこの鶴原山の上にビーコンがあったんですよ。
でも今は空港の場所が代わったからアンテナは残っとるけど
ビーコンを撤去する時にどういう訳か一緒に壊しちゃったんです。」

「何で壊す必要がーっ!」

「うん。壊さなくても良かったのに町のやる事は変だねぇ」

私の混乱ぶりを他所に淡々と町の遺構の変遷を語ってくださるオーナーでした。

その後、町が昔、発行したという資料を見せていただきました。
観光地として整備した頃の事が書かれていました。


岸根砲台跡への道は現在塞がれてしまっています。
それはあまりにも荒れてしまっているからなのでしょう。


立ち入り禁止状態にしてある道路を少し登っていったところです。
アスファルト舗装は割れています。


三高山砲台跡とこの岸根砲台跡は平成に
なってから観光地として整備されたらしいのですが
この荒れようは半端ではありません。


登り始めてすぐ、砲台跡に到着します。

next