防波堤の中で その10
武智丸はもうここから動かされる事はありません。
建物と同じく形を留めてこの場所にあるという事は遺構でしょう。
ただ、これを産業遺構と呼ぶか戦争遺構と呼ぶかは迷うところです。

戦争遺構と呼ぶときにそれが何の感慨も呼び起こさないなら
どう呼んだって良い事です。
悲しみは伝播されても良い
憎しみは伝播されて欲しくない
伝わるものが憎しみだけだったら
そんな物は消えても良い。
伝わるものが悲しみなら
それは在っても良い。
そう思うのは逃げでしょうか。
悲しみが強すぎて命を落とすほどに心を痛めたことの無い者の勝手な言い草でしょうか。
各地に残る戦争遺構。
それを訪れる時に憎しみを感じて訪れた事はありません。
憎しみが湧いてくるならそんな場所には行きません。

海に落ちそうなこの縁に座って
斜めに背を預けて空を見上げ、つらつらとそんな事を考えていました。
うす曇の空。瀬戸内海の空。

武智丸は昭和19年に製造されたそうです。
終戦間際に作られて働きました。
防波堤として払い下げられたのは昭和22年。
わずか3年の役目。
船として海上を動いていたのはたった3年。
そして防波堤として60年近くここにいるのです。

水没していくコンクリート船。
すでにコンクリートの船ではなく船の形の防波堤。
今ここにあるのは防波堤です。
人の良く知る物の形に似ているからと、自然にある岩がその物の名前を冠されるように
船という形をはっきりと留めている故にここは、今はすでに防波堤であるにもかかわらず
ただの防波堤とは違う物として捕らえられます。

海の上に浮かぶ物として形作られ
海の上で動く事はなくなっても
強靭な人造石の船は形を留めて役割を持ってこの場所にいます。
かつて船として荷を運んでいた
かつて船として大海原に出ていた
かつてコンクリート製の船だった
船としてみるのが哀しいので
船としてはあまりにも活躍の期間が短かったので
私は防波堤と呼びたかったのです。
形があまりにも残っている故に。