愛宕山鋼索線跡 その1

戦時中に軍事工場として使われていた遺構はあちこちにあります。
風光明媚な観光地・京都にもそういう遺構がありました。

通称・清滝トンネルといわれる場所です。

戦前、京福電鉄(京都電燈)嵐山駅から愛宕駅までを
結ぶ愛宕山鉄道という路線がありました。

昭和4年から昭和19年までという大変短い期間で廃線になりました。
嵐山駅から清滝駅までの平坦線区間(3.4km)と
清滝川駅から愛宕駅までの鋼索線区間(2.0km)があったそうです。

現在も交互通行区間ながら道路が設置され
使われているトンネルですが、元々は愛宕山鋼索線という
愛宕山のケーブルカーに繋がっていた鉄道路線でした。


これが清滝トンネルです。
道路の地名表示では『清滝隧道』になっています。

昭和19年に廃止された鉄道のトンネルはそのまま
軍事工場として使われる事に成りました。

三菱航空機機体工場 第14工場 清滝
48000uの敷地に120の工作機械、
500人の従業員が働いていた現場です。

1945年、終戦の年の5月に操業し、
一ヶ月に20000個の排気弁を製造していました。

昭和19年に廃線になり
昭和20年の5月に軍事工場になり
終戦後は道路として使われている。

大変有効利用されている遺構であるといえます。
遺構の鏡かもしれません。


平坦線の区間であるトンネルを抜けて進むと清滝川にかかる橋に出ます。
ここで鋼索線(ケーブルカー)への乗り換えだったようです。

現在はこの橋の横にパーキングがあるので車を停めて
鋼索線の跡を見に行くことにしました。


桜が満開の清滝川周辺です。