秩父鉱山見学 その5

小中学校跡をさらに上流に進むと鉱山で亡くなられた方々の
慰霊碑がありました。卒塔婆もあって墓所的扱いをされている
のに吃驚しました。
鉱山で働く人は地元だけでなく各地からやってきました。
閉山になった鉱山からまだ働いている鉱山への人の移動。
会社から系列の鉱山に手配してもらえた場合もあり
そうでない場合もあります。
兵庫県の明延鉱山で元社員の方に聞いた話では
北海道や沖縄から閉山のあおりで引越ししてこられた方もいらっしゃったとか。
国内で最後まで残るといわれていた非鉄金属鉱山・明延鉱山ならではの
エピソードだと思って聞いていました。
一人で山を渡り歩いてきた人。
家を継げずに住み慣れた土地を離れた人。
働いてきた人の中には無縁仏となってしまった方も居たのかもしれません。

旧道の橋が無くなった跡です。
ぶつりと途切れた古い橋のガードレールで
閉ざされています。

橋を渡って左岸にやってきました。
今度は道路の右側に建物が幾つも現れました。
木造の建物の横に昭和の半ばに立てられたような
新しい社宅もあって、ここは新旧混合です。

共同浴場です。
女湯が右、男湯が左。
窓ガラスも割れていなくて建物はそう傷んではいない様子です。

すっかり人の姿が少なくなってしまった小倉沢の中心部。
これが現在の鉱山町の殆どの姿というわけではないのですが
多くの場所でやはりこのような空気を感じてきました。
栄華の名残です。