博多ぷらぷら2019 その1

2019/2/1 更新


陽が傾き始めた時間に博多に到着しました。
博多入りして初めに撮ったのが重機。


KOMATSUのテレスコピッククラムシェル君。
横っ腹に名前書いてあったから間違いない。
私はテレスコクラムで覚えている機体。


このアタッチメントでは垂直に掘るのがお仕事。

テレスコクラムは省スペースで荷の掴み出しができるので
天ヶ瀬ダムの流塵処理の時にも
天端横の狭いスペースでお仕事してます。


駅からすぐ近くの平成28年博多駅前道路落っこち現場。

突然、道路陥没して吃驚仰天!!
でもこれだけの大規模な事故だったのに
奇跡的に人的被害がなかったのが喜ばしい現場です。

痕跡、ぜんぜんないですね。
復旧も一週間という素晴らしい早さでしたし。


足元を見ていると謎の幾何学模様系のマンホール蓋。
まったくさっぱり何を描いているのか方向変えてみてもちっともわからない。


てくてく西に向かって歩いて行くと大きな神社に到着しました。
住吉神社です。
でも急いでいたので猫の誘惑も振り切って敷地を突っ切る。


突っ切って住吉神社の敷地を出てすぐのところで
池の中に太鼓橋で繋がれた築島のようなものがあり
その島に神社があるのが見えました。


位置が気になったので池の西から見てみると
住吉神社まで鳥居が連続して見通せました。
池の名前は天竜池、池の中の島にある神社は天津神社と記されています。


真っ直ぐ西に進んでくると川に出ました。

那珂川です。
博多で一番大きな河川かと思います。

この先に中州があります。
焼きラーメンの記憶の中州。


架かっている橋は住吉橋と名前がありました。


住吉神社からまっすぐ来ていますので
朱色の橋の欄干に高欄は参道なのかと思って
周囲をきょろきょろしていると…


なんかある。


『天保弘化之間
頻有洪水損橋
再三稲光弥平憂
之安政二年仲春
築此中嶋也』
と書かれています。


横に説明板がありました。


なんと江戸期の架橋。
隣の石碑は定礎石だったんですね。


古い絵図も説明板に載っているので分かりやすい。


右下が住吉橋で鳥居があって
さっきの天津神社と天竜池、真っ直ぐに住吉神社に繋がっています。


駅前の地図で確認するとこんな感じ。
絵図と左右は逆ですが。


住吉橋の左岸側は五叉路なので
信号機に住吉橋の名前がこれでもかと付いているのが
なんとなく見ていて楽しかったです。
愛され橋なんだなと。