with Dam Night in NARA
2024/12/11 更新
ダム工学会中部近畿ブロックによるwith Dam Night。
京都、名古屋、大阪、福井、滋賀、兵庫、三重、岐阜、和歌山で
現地開催、COVID-19禍になってからはweb開催でテーマ地を選んで
開催してきました。
そして、最後に残ったのが奈良です。
可住地面積日本最下位。
面積 47都道府県中40位。
水不足で遷都された平城京の奈良。
ですが、アーチダムの数だけは日本一。
7基のアーチダムがあるのが奈良県なのです。
という事で今年のwith Dam Nightはアーチ祭りに決まりました。
せっかくですから奈良県の7基のアーチダムを全部紹介してはという事で
池原、坂本、二津野、奥里をJ-Power様から
須川、大迫、旭を設計されたニュージェック様から
がっちりお話頂く構成に。
専門家のお話の間には愛好家目線で楽しいお話を
ダムマイスター仲間の佳様にお願いすることにしました。
自分は司会と隙間産業。
アーチダム、もう一回勉強しておかなくっちゃ♪
と、呑気にしていたのも束の間。
「こんな感じで説明します」と
一か月以上前にスピーカーの方から原稿案が届いたのですが…
激難 超難解 でした。
まって
これ
それなりに
素人なりに
ダム勉強してきましたけど
全く歯が立ちません…が…
用語の解説から必要
いや、それ以前に土木的な基本から説明しなくちゃ無理かも
コンクリートダムは片持梁って話から説明しなくちゃ無理かも
どうしよう…これ…
途方に暮れていても仕方がないので
できることから手をつける事にしました。
◆ ◆
日本で初めて天端が弧を描いているダムとして竣工したのは
烏原貯水池 立ヶ畑堰堤。
1905年。
佐野藤次郎技師の設計。
天端が弧を描いているがアーチ効果を狙ったものではないと記録があります。
日本で初めて作られたアーチダムは浦山堰堤。
1920年(文献によっては1919年)
鶴田勝三技師の設計。堤高13.40m。
円筒公式をもとに作られ、少し肉厚にして安全度を上げています。
水資源機構の浦山ダム建設時に仮締切の一部になり廃止。
その際の調査では形状から定半径アーチダムであったと記録が残っていました。
現地の登録有形文化財の説明で混乱してしまう人が続出の久山田堰堤。
1925年竣工。
佐野藤次郎技師が設計にかかわっています。
こちらもアーチ効果を狙ったものではなく当時主流の表面石張粗石コンクリートダムの
型枠張石に水圧、力が加わる効果を狙ってのアーチ型であって
アーチダムとして設計しているわけではないことが記録に残っています。
庄川の女王、小牧ダムは堤体が優美な曲線を描いており
1930年竣工。
石井頴一郎技師の設計。
米国のアローロックダム(1915年)を参考に造られました。
こちらもアーチ効果を狙ったものではないのです。
この頃は天端が弧を描く重力式が(堤体積を減らせることからも)世界的に流行していました。
文献中で他の天端が弧を描くダムには書かれていないのに
“拱形重力堰堤”の記載がある芋洗谷ダム
1930年竣工。
設計者は不明ですが工事責任者は 佐藤 長太郎 氏
芋洗谷堰堤の紹介ページの最後には
という記載があるので重力式アーチとして設計していることはほぼ間違いなし。
アーチダムの設計法は欧州や米国でどんどん進化しますが
日本の技術者は日本の災害の多さ、特に地震の多さを考えると
日本でアーチダムを作るためにはまだまだ検討が必要であると
慎重になります。
しかし、砂防の分野ではアーチ型の堰堤が次々と造られていました。
戦後、日本のアーチダム建設は耐震を考慮してどんどん作られるようになります。
島根県の三成ダムは砂防と発電のダムです。
「堰堤工学」の伊藤令二氏が中国地方建設局の局長を務めていたときで
松江砂防事務所の豊浦工務課長が設計。
設計に用いた式は純アーチの計算式ではなくトライアングルメソッドというものであったと
文献で調べがつきました。
堤体にかかる応力を計算で出すという考え方は同じで
純粋なアーチダムの計算に比べて堤体は厚くなります。
他のアーチダムにない特別な堤体形状はこの計算によるものだったのですね。
大規模な純粋なアーチダムとして設計されたのは上椎葉閣下です。
そもそも130mにもなる巨大なダムの建設経験がないので重力式で考えていたのを
世銀がアーチでいけるとアドバイスして定角度アーチで設計したという
世界の技術者のお墨付き。
そして日本人だけの手によるアーチダムとして燦然と輝くのが鳴子ダムです。
鳴子ダム工事誌には当時のアーチダムの標準設計基準になっていたであろう
試し荷重法(試算荷重法 trial load methodまたはtrial load analysis )で繰り返し計算し
あの美しい姿に決まったのです。
参考論文はこちらです。
「analysis of arch dams of variable thikness」
アメリカ土木学会誌 第118巻第1号 1953年1月
W.A.Perkins、M.ASCE
そして日本のアーチダムが世界最高のダム技術者の度肝を抜くときがやってきました。
日本初のドームアーチ、殿山ダムです。
アーチダムのどてっばらに巨大なオリフィスを6門備えるという設計は
あのアンドレ・コインを驚愕させました。
関西電力の天才、高野技師の作品です。
ドームアーチは日本で一番たくさん作られたアーチダムです。
アーチダムは強固な岩盤がある場所でないと作ることはできず
場所をとても選ぶ型式です。
ドームアーチよりさらにフラットな放物線アーチが登場しこれ以降は
旭ダムを除いて国内のアーチダムはすべて放物アーチダムになりました。
◆ ◆
ぎりぎりまで文献調査と原稿を頑張り当日を迎えました。
不安定なお天気で風が冷たい中、ラテラルに到着。
最初にダム工学会会長、京都大学の角教授にご挨拶を頂きました。
ダム工学会の目指すところをお話しいただいた後に
海外のものすごい太陽光&太陽熱発電事業
それとペアで活躍する揚水発電所のお話を頂きました。
ドバイ凄いな!!!
まずはJ-power様からです。
奈良県が日本一アーチダムを持っている都道府県になったのは
J-power様が四基もダムを作ってくれたからです。
池原、坂本、奥里、二津野。
池原ダムは非越流堤体と重力式の洪水吐が別々の場所にあるのが素敵。
洪水はアーチ堤体下流の池原地区をパスして下流に流れていくわけで
蛇行した川と地形を見事に制御している感がすごいです。
坂本ダムは堤高と堤敷の比較でまさかの中国電力様の佐々並川ダムより薄かった!!
という事が判って吃驚しました。
佐々並川ダムは一般人が堤体を見るために容易に近づけるポイントが
ほぼ真横から俯瞰できる場所であるということもあって薄さが際立っていて
薄さが際立つアーチダムとして有名なのですが坂本ダムは率でいうとそれより薄かったという。
まさに日本刀。
奥里ダムは現地に「定半径アーチダム」という文字があるので
どこが定半径なのかと図面をワクワク見ました。
でも中央部はうすうすで両岸がすこーし厚くなっている程度のとてもスレンダーボディで
いかにも定半径というデザインではなかったのでとても個性的。
二津野ダムは「二津野が斧なら坂本は日本刀」と、比べられていました。
ずらっと並ぶローラーゲートが「でんぱつのダム」らしさ満開で大好きです。
これだけゲートが大きい&多いと操作が大変だと思います。
最後にAIが1000年後の坂本ダムのイラストを書いたという事で
爆笑で終わりました。
AIひどすぎ。
二番手はダムマイスター仲間の佳様から
関西電力奥吉野発電所の揚水の下池
傍まで行けるけど立ち入り禁止なので誰が行っても誰が撮っても
同じアングルでしか見られない旭ダムの紹介です。
今回のwDNに合わせて見学を申し込み、天端に入れて頂きました。
そして旭ダムといえば、国内初の排砂バイパストンネルを備えたダムですから
ダムの上流の貯砂堰とトンネル吐口も見せて頂きました。
貯砂堰は砂防堰堤で良く採用されているダブルウォール工法で作られていて
砂をしっかり止めつつ、水は下流にさらさら出ていく構造になっていました。
そして貯砂堰を見学中は稼働していなかったのに吐口に移動してくると
移動中に稼働し始めていてざーざーと水が流れ出ていました。
そして人頭大の岩がガンガンゴンゴン流れてくるので
コンクリートに当たる音が響き渡っていたのです。
「あんなでっかいの…岩やん…」と口から出るたび
後ろから関西電力の方が
「砂です」
と、突っ込みを入れてくれるのが最高でした。
最後にアーチダムの設計について
ニュージェックのシニア・アドバイザー吉津様からお話しいただきました。
奈良県のアーチダム7基のうち、4基はJ-power様の設計・管理ですが
残りの3基は
奈良市企業局様の須川ダム
近畿農政局様の大迫ダム
関西電力様の旭ダム
で、いずれもニュージェック様の設計です。
ニュージェック様は関西電力様の黒部設計にかかわった技術者の方を中心に
「(株)新日本技術コンサルタント」として生まれました。
The New Japan Engineering Consultants, Inc.です。
関西電力様が手掛けたアーチダムは
国内初ドームアーチの殿山ダムにはじまり
堤高日本一の黒部ダムで設計法を極めました。
この時に造られたプログラムと計算法がニュージェック様に引き継がれて
須川、大迫、旭ダムも作られたと。
だから全部ドームアーチなんですね。
納得しました!!
それはともかく
アーチダムの設計と計算、どれだけ大変なんだと
こんな計算、昔の人、よく考えついたなと
難しすぎて青ざめるしかない物凄い計算プロセス。
でも可能な限り易しい言い回しにしてくださっていたので
アーチスラストとカンチレバーをイメージできたかなと。
イメージできること、とても大事。
◆ ◆
最後にダム工学会副会長の石井様から
奥三面の設計がニュージェックにいらっしゃる方だったというエピソード
温井ダムの秘密をポロっとお聞きしたりして
無事にwith dam☆Nihgt in NARA アーチ祭りは終了しました。
近畿中部ブロックの開催地マップは埋まりました。
来年は二巡目に突入かな?
ダムビンゴはもう開催されなくなって久しいので復活は難しそうですが
それよりやっぱりアカデミックであることが大事ですね。