下渕頭首工 見学 その1

2021/8/1 更新

“水不足で遷都された平城京”

奈良県北部の平野部では都が京都の平安京に遷都されることになった理由が
河川水に恵まれない奈良盆地で人口の増加に耐えられなかったことであると
凄く当たり前のことのように奈良市水道局の方に教えて貰った時に
なるほどな〜…と、深く頷きました。

奈良盆地の大和平野はホントに水資源に乏しくて
奈良市内、生駒市内に新興住宅地がどんどんできるようになったのは
水資源機構様の布目ダム、比奈知ダムが完成してからなのです。

ダムに100%依存の住宅地というのは大阪府にもありますし
ホントにダムがなければそこに住めないというところは多いのです。
住んでいる人がそれを認識しているかは別の話ですが。

で、1000年以上前からずっと水不足の大和平野は
戦国時代が終わって日本中で人口が増加した江戸時代には
水不足で稲作が困窮しました。

水不足の大和平野に水を、という江戸時代からの悲願に応えるべく
戦後、「十津川・紀の川総合開発」が奈良県営事業として始まりましたが
その後、建設省が直轄事業として引きついでくれました。

というのは県をまたいでの灌漑用水補給と洪水調節という
壮大な計画が流域の受益地の皆様に具体的に
イメージしづらくて、国が間に入って調停しないと
どうにもならないくらい話し合いが難航を極めたからなのかと思います。


これは橿原神宮の近くにある吉野川分水の記念碑です。

昭和62年に事業計画の用水路340kmを含む諸施設の工事が
完了したことを記念してが立てられた記念碑になります。

大迫ダムと津風呂ダムの水が下渕頭首工で取水され
吉野川分水を経て大和平野に供給されます。


大迫ダム

津風呂ダム

ということで吉野川分水の重要施設、下渕頭首工に会いに行ってきました。


地図で確認してどこまで近づけるかがよくわからなかったので
とりあえず左岸側からアプローチ。


川のすぐ横まで進める道があったので
そこから川沿いを上下流に移動しつつ
頭首工のビューポイント探し。


ほとんど波立っていない静かな水面ですが
右岸側の取水口は多分ここ。


勾配と水が流れている様子から考えて魚道ですね。


これは取水塔のような…。
高さを変えていくつもスクリーンが取り付けられた開口部があるので。
でもここまで水位が上がるって中々の出水ではないかと思うので
正体は分からず。


対岸から見ていても怖いくらいピンピンに尖ったデフレクター。
串刺しにされるというよりスパッと切られそう。


上下流にかに歩きで良いビューポイントを探しましたが
これ以上は無理でしたので場所移動。


どこに移動したかというと下流の橋です。
手前のサイレンは下渕頭首工の警報所。


トラス橋が架かっています。
ここから下流側がよく見えるはず。


橋の名前は何と水道橋でした。

奈良県水道が管理している橋のようです。
下渕頭首工、県北部の水道にもお水をくださっているから。


トラス橋の横に人はこっちを渡ってねと人道橋が架かっていますのでそちらに。


下流からズームで。
魚道は那珂那珂幅の広い立派なサイズでした。


可動堰部分の片方はこのように越流中。
デフレクターぴーん!!


こちらの可動堰部分は越流していませんでした。
水流の厚さを考えるとこのくらいの長さが必要なのかなと思いました>デフレクター


奈良県北部、大和平野にお水を送ってくれる下渕頭首工。

水道水に灌漑用水に補給をしてくれる大事な施設です。
でも頭首工にありがちな控えめさであまり自分をアピールしていませんでした。

ここからの水がどんなふうに大和平野に届くのか
水路をめぐるコースもまたてくてくしてみたいな〜と思った
下渕頭首工見学でした。