大谷溜池 その7


公民館に入ってすぐ、玄関ホールの壁に立派な展示物と模型がありました。

紹介されているのは何とあの三角縁神獣鏡です。
日本各地で発見されている三角縁神獣鏡ですが
年号が記されている物は三つしかなく、そのうちの一つが
ここ豊井の宮ノ洲古墳で発見されているのだそうです。


宮ノ洲古墳と宮ノ洲エリアの模型です。


おおお。
大谷溜池と道中あった円筒分水がばっちり表わされている。


大谷溜池の上流をはじめ、周辺の山の渓流に
細かな段々が造られています。
何とこれは全部、棚田なのだそうです。

棚田というと三重県の丸山千枚田とか
石川県の白米千枚田とか
広々とした傾斜地に造られるイメージがあったので
渓流棚田というものを知らなくて吃驚しました。

 ◆ ◆

約束の時間になったので受付に名乗り出て
公民館の主事の方と
dashelo様としん様をダムまで案内してくださった郷土史家の方に
御挨拶させていただきました。

何故、大谷溜池は日立製作所・笠戸工場の所有なのに灌漑用なのか
灌漑用として使われた後、水道水の供給に移行した経緯
水道水源としての仕事は平成7年で終了したこと等

お聞きしていてダムとしてこんな数奇な運命をたどった例は少ないのでは…と
その生い立ちから今に至るストーリーに吃驚してしまいました。

郷土史家の方が調査された内容を記した年表をはじめ
多数の資料は論文としてまとめられているそうです。

※この時伺ったお話は別途、記事として世に出す予定です。
私のローカルで弱小なHPでしまっておいてよいようなお話ではないので。
※工事誌に載っていた図面について
各部名称と使用されている単語と数字が
まだ十分に解析できていないので
まずはそれを正確に読み説くことが課題。

更に、大谷溜池のある大谷渓谷のお話で
上流に棚田があることについても関ヶ原の戦いの後
40-50年くらいで石高がぐっと増加していることなどから
新田開発が盛んに行われた証であろうという
灌漑にかかわるエピソードをお聞きしました。

道中にあった円筒分水ですが
名前は地元の人もどなたも御存じなくて
大谷溜池と同時に造られた物であるという事だけが分かっているそうです。
まさに灌漑用で造られた大谷溜池だから設けられたのでしょう。
名前は大谷溜池下流円筒分水工でいいのではないかと思います。

◆ ◆

そしてdashelo様から見せてもらってきてね♪と
念を押されていた郷土史家の方が作成された
ダム模型を見せてもらう事になりました。


押し入れからすっと出てきたのがこのダム模型。

えっ…
めっちゃ精巧なんだけどっ!


何これ何これ何これーっ!
どこまで忠実に再現されてるの。
堤体の石積みのエフロの白垂れまで完ぺきコピーっ!

も、モデラー?
ジオラマ職人?
この再現度の高さは普通ではないです。


いったいどこのダムの模型を参考に作成されたのか
貯水池側も見られるように水部分もこのとおり
取り外し可能なのです。


うおぉぉぉ!
精密過ぎてホントに俯瞰で見ている気分になるくらいの出来栄え!


フィレット部分も完璧に再現されています。
江畑溜池堰堤と相似といわれますが江畑溜池堰堤にフィレットはありません。
江畑溜池堰堤が造られた1930年より
8年分、明らかに技術力が上がっている印象。

郷土史家の方が模型製作の参考にされたのは
『農業土木研究』に掲載されていた詳細な図面だそうです。

自分が国会図書館で見つけた工事誌よりも図面も写真も全部が大きくて
分かりやすい史料でした。


日立製作所が所有する美しいメイソンリーフェイシングダム
灌漑用のダムとして生まれ
水道用に転用された大谷溜池

その出自と辿った運命の数奇さに驚くダムです。

文献調査の結果と郷土史家の方がまとめられた史料を
きちんと整理して、この素敵なダムについての報告を
近いうちに別のところで発表したいと思います。

情報と御縁をくださったdashelo様
お世話になりました郷土史家の方にお礼申し上げます。

 

おまけ

工場も見ないと


お話をたくさん伺った後に郷土史家の方に
工場地帯が俯瞰で見られる場所にご案内頂きました。


障壁となる樹林帯がないとはいえ
道路と同じ高さでは見えるものも限られます。
でもこの場所なら俯瞰で見放題という山の上の展望台です。


大変風が強い寒い日で煙突からの水蒸気も真横にたなびいていました。
ダムも素敵ですが工場を見にまた来たいなと思った徳山市・周南市でした。