ニテコ池 その1

2015/5/11

愛用のサングラスが相当傷んできました。

1980年台に販売されていた
Ray-Banのウィンターモデルのセミカスタム仕様。
さすがにかけている本人と同じく
寄る年波には勝てぬという痛みっぷり。

先日、修理に修理を重ねていたサイドカバーが破損して
予備というか特別な時だけ使うポルシェを引っ張り出したのですが
こちらも10年以上前のモデルであちこち傷んでいる。


そしてかけている最中に鼻が痛いなと思ったら
鼻パッドが割れていた!!

とりあえず修理せねばとメガネ屋さんに持ち込み。
すぐ修理してもらえてほっとする。

梅田に出てきたので阪急〜阪神〜JR〜と
構内サインを見ていてポンと頭に浮かんだのが
先日、情報を入手したニテコ池でした。

今日は雨降らないという天気予報だし
ちょっと行ってみようかなっ♪
と、ノープランで阪急電車に乗車。


目指すは苦楽園口駅。
梅田から夙川まで行って一駅。


苦楽園口駅に到着しました。
ここから0.5kmくらいでニテコ池につきます。


駅の地図にはニテコ池は載っていなかった。
ニテコ池は駅の東側です。
この地図で言うと上になります。


西宮市のマンホールには甲子園が描かれていた。


見えてきました。

地元、西宮市の観光案内でも
他のwebサイトでもニテコ池を調べると
火垂るの墓の話題ばかりですが
ニテコ池で確かめたいのは別のエピソードです。


阪神・淡路大震災の時にニテコ池は被災し
こんな姿になっていたのです。

西宮市デジタルライブラリー 震災写真情報館
フリー検索で満池谷町、ニテコ池などを検索すると沢山の記録写真を見る事ができます。
復旧工事の写真なども見られます。


ニテコ池は珍しい3段になった土堰堤です。
これは一つの堰堤を造るより複数の堰堤を作った方が
貯水量を多く確保できることからこの形になったそうで
江戸時代にはすでにこの形で出来ていたという
歴史のある土堰堤なのです。

土木学会による「阪神・淡路大震災調査報告 ライフライン施設の被害と復旧」によると

1924年に堤体を改修して水道水源になったという事でした。

この3段になった堤でそれぞれが貯水池を形成していたわけですが
発災時に大変運よく、一番下の池は水位が非常に低い状態であったのです。

そして地震の直接的なエネルギーで中堤と上堤が壊れたのですが
下堤が貯水容量も確保できていた上、2mも陥没したにもかかわらず
持ちこたえたので、池の下流に広がる住宅地に
決壊によるダム災害を引き起こすことはなかったといいます。

発災時の上池と中池の水位は6割くらいであったとのことです。

そして隣接している越水浄水場内で破損した水道管路からの水が上池に流入していたので
浄水場職員の方が下堤の排水バルブを開き
8:00頃から15:00頃までかけて貯水池に溜まっていた7万m3の水を抜いたそうです。

これが一番大切なこと。

以前、ダム友と語る会でも質問があったのですが
堤体が深刻なダメージを受け決壊や崩壊の危機が考えられる時にとる行動とは
速やかに下流に放流の連絡をしてダム湖の水位を安全に下げる事なのです。

下流に被害を出さない範囲の放流で
安全に速やかにダム湖を空にする。

これが被災したダムがすべきことなのです。

まさに越水浄水場の職員の方が取った行動がそれでした。

水位低下に伴い、上堤と中堤は崩れ落ちていったそうです。
取水設備も破損しました。
でも下堤は耐えた。

本当によかった。
地震で大変な被害を受けている上に
鉄砲水のようにダム湖の水が流れ出てきたら
どれだけ人的被害が出ただろうかと
考えるだけで鳥肌が立つ。

本当に素晴らしい被災時対応がこの場所で取られていたのです。