三高ダム 見学 その4

:現地で新旧二つの堤体の写真付き資料を入手しました。


これが旧堤体です。
海軍さんの水源地の風格が漂っています。


そして広場にある説明の碑。
『旧ダムは昭和18年旧海軍兵学校の水道用水源として旧海軍が二年の歳月をかけて築造』とあります。
その後、江田島沖美地区の水道用水源として使われていたとあります。


そして今回の嵩上げでこのダムの用途は水道用水源から灌漑水源に変わりました。


灌漑ということですが現地でそんなにたくさんの水田を見ていなかったので
何の水かと思ったら果樹園や畑作用の水源ということでした。


旧堤体がすごい風格を持っていただけに
比べてしまうと色気のない堤体になってしまったことが悔しい気もします。

◆ ◆

ダムを見た後に沖美町内の戦争遺構を訪ねた折、
地元の方とお話をする機会に恵まれました。
 

「三高ダムを見てきたのですが前の堤体がかっこよかったのでもったいないですね」

「海軍さんが兵学校のために造ったダムですからねぇ」

「改修前は水道用で使われていたということですがどうして灌漑に切り替えたんでしょう」

「 私らは別にあのダムの水で暮らしているわけではないんです。
私らはずっと前から大田川の水で暮らしてますよ」

「大田川?えーとそれは温井ダムの水って事ですよね」

「そうです。温井ダムの水でですよ。海底のパイプで水を送ってもらってますね」

「でも果樹や畑作は水田ほどには水を必要としないから
各地のダムで水の運用に疑問が出ているという声も聞きましたし
あるに越したことはないけれど、元々の堤体で改修せずに
灌漑に運用変更するだけで十分じゃなかったんでしょうか?」

「あはははは。まったくだね。何で80億もかけて造ったのか判らないですね。
多分そのお金の一部は奈良県のあのダムにでも行くのかなぁとか(笑)」

「大滝ダムですかっ! いやまさか。そんなことはないと...
た、確かに大滝ダムは3000億のダムですけどっ(汗)」

「あのダムはまだ動かせないんですか?」

「...はい。 試験湛水で上流の地滑りが起きた事と洪水吐きに異常な
キャビテーションが生じた事の二つが引っかかってまして...」

「せっかく作ったんだから早く使えるようになると良いねぇ」

「はい。是非とも早く使えるようになってほしいです。
移転に同意してくださった方のためにもです。
あのダムを作ることになったきっかけの伊勢湾台風は..(以下略)」

ダムのことについて話すと無関心な方が多いのですが
きちんと地元のこととして知識を持っておられ
とても素直な意見をお聞きすることができました。

水道用水源として旧海軍が築造し
その後地域の水道水源として活用され
がんばってきた三高水源地。

水の需要があるから改修されたと思うのですが
各地で聞く農水省のダムの水利用の話とあわせて考えると
どうにも難しい問題が浮かんでくることが否めません。

桜が美しかったという三高水源地。
この新ダムも桜の名所になればいいなと思いつつ見学を終えました。