牧山の貯水池

2020/6/11 更新


令和2年5月の半ば、COVID-19による緊急事態宣言から
解除される県が出てきました。

鹿の国は大阪でお仕事をされている方がとても多いので
対応は大阪に準ずるという慎重な対応で
図書館もすぐには開かれず開館してもしばらくは
貸出のみという事で調べ物にはまだ壁が高い。

図書館ロスで悲しみに暮れている者としては
国会図書館のデジタルアーカイブがもっともっと
自宅の環境で見られるようになってくれたらよいのに…
と思う事しきりでした。

◆ ◆

布引五本松ダム120歳のお祝いで何か書きたいな〜と
いつものように、土木学会の工學會誌を読んで
頭を物書きモードにしている時のことです。


大正4年4月の工學會誌に気になる記事が見つかりました。


記事はこの二行だけです。

つまり
大正4年3月20日の午前零時(頃)に
福岡県遠賀郡戸畑町字牧山にあった
若松市水道貯水池の一部が決壊して
96万立法尺(約25920m3)の水が
真下にあった旭硝子製造会社を浸水させた
ということ。

えらいこっちゃ。


現在の住所で言うとこのあたりのようです。
北九州市戸畑区牧山。

航空写真で見ていても
いまいち、どこに貯水池があったのが分かりにくい。


でも地理院地図で見てみると
あ!!
これ、これ。
これはアースダムのあった地形じゃないかな
と、ぴぴっとくるものが見つかります。


GoogleMapで見てもぴぴっとくるものが見えました。


これです。
旭硝子様の工場と少し離れたところにある牧山展望台公園。
約400m離れています。


旭硝子様の工場敷地のすぐ北にも山があり
こちらには配水地のような物や円形の水槽が見えているので
こっちの山のことかな〜と思ったのですが
どうも貯水池跡の地形が地図と写真からは読み取れません。


地形図と地図のレイヤーを重ねてみたところです。
牧山展望台公園はここです。
山の窪みですし貯水池を造る立地としてはありだと思われます。

◆ ◆


貯水池決壊で地元の企業に迷惑かけている事故ですから
どこかに記録が残っているだろうと
まず調べたのは八幡市勢要覧。
国会図書館のデジタルコレクションでネット公開。
自宅で読めます。


牧山貯水池についての記載は見つかりませんが
被害を受けた旭硝子牧山工場についてはばっちり記載がありました。

なんと大正3年8月に出来たということです。

貯水池が決壊したのが大正4年の3月なので
出来たばっかりの工場がいきなり夜中に水浸し…
という事故だったのかと。

でも事故についての記載はないのです。
真夜中だったので人的被害もなくて
あまり良いニュースじゃないしという事で
取り上げられていないのかもしれません。


市勢要覧に何ページにもわたって記載があったのは
八幡製鐡所の河内貯水池堰堤こと河内ダムについてでした。


一体どれだけ嬉しかったんだというくらいページを割いています。
さすが河内ダムです。
この文献では中河内貯水池という書き方ですが。

◆ ◆

日本の水道に関するデータをまとめてくださっている文献は数多くありますが
大正時代のこととなると近代水道黎明期ですから
ここはやはり日本の近代水道の父・中島鋭治博士の「日本水道史」を見るべき。


土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブスで
戦前土木名著100書として公開されている
中島工学博士記念事業会編『日本水道史』です。
昭和2年に発行されたものです。


若松市上水道についての記述部分です。
牧山貯水池について載っていないかな〜と読み進めていくと…


ありましたーっ!!

若松市上水道  貯水池改築工事

え…
なんかよくわからない数字。
決壊したって云うから土堰堤だと思っていたんだけど
何この数字。

堤頂長261.4尺はわかるけど堤頂の幅183.4尺って何?
幅広いただの台形の盛土になるんじゃないの?

水深17.5尺はまぁそのくらいかな〜と理解できるけど。

あ、まさかと思うけど
これ、堤体じゃなくて貯水池の大きさを示してる数字?
いやいやいやいや?全然合わないし…

わーかーらーんー!!


調べて余計に謎が深まってしまったので
又現地に行ってしっかり調べたいと思います。
地元の図書館にしかないような資料でパッと判明することありますし。

文献調査とフィールドワーク命。