糸藤谷ダム跡地

2021/5/21 更新


和歌山県日高川町のとても素敵なアースダム、尾曾谷ダムにやってきました。


以前、桜が満開の頃に会いに行った時の写真です。
堤体の足元から川の横を走る道路までの谷間に
たくさんの桜が咲き誇り、桜の谷になっていました。
桜の名所として地元で大変、親しまれているダムでもあります。


尾曾谷ダムは1918年(大正7年)に和歌山水力電気の高津尾発電所へ
水を送るために造られました。


こちらの重厚な煉瓦造の発電所建屋が高津尾発電所になります。

現在は隣に新高津尾発電所が立てられましたので
尾曾谷ダムの水は新高津尾発電所の方に送られています。

尾曾谷ダムには兄弟ダムがありました。
1920年に竣工した糸藤谷(いとこだに)ダムです。
調べてみると、糸藤谷ダムは現在は廃止になっています。

古いダムを調べる時にまず見る大ダムのダム台帳。
糸藤谷ダムが載っていました。

このようにダム台帳で糸藤谷ダムは「いとうだに」と読み仮名がふられていました。

1920年に竣工、堤高は21.5mですが1944年に0.9m嵩上げされたという注釈もありました。

堤頂長は65.8mで、尾曾谷ダムより少し小さいダムでした
ダム台帳に載っている尾曾谷ダムの諸元は堤高26.2m、堤頂長83.6です。

廃止された後、堤体はどうなったのか気になったので
調べている途中、御世話になっているダムの偉い人から
糸藤谷ダムについて教えていただくことができました。

「高津尾堰堤(尾曾谷ダム)は大正初期に造られたものです」

「高津尾堰堤と糸藤谷堰堤は連通管で一体運用されていました」
「ただ、どちらも土堰堤で締め固めも十分でなく、耐震性が確保できず
糸藤谷は廃止、高津尾は調整池からヘッドタンクに用途変更しています」

と、教えて頂きました。

位置はどこだったのかと探します。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
で古い航空写真を見ると
尾曾谷ダムの南側の谷にアースダムがあった事が確認できました。


DamMapsに糸藤谷ダムの位置を書き込んでみました。

※糸藤谷から尾曾谷の貯水池への連通管の接続位置は
貯水池の真ん中くらいだったとお聞きしました。
この図はざっくりイメージで描いたものですので正確ではないです。

廃止された後、道路になったとは聞いていましたが
貯水池を完全に埋め立てて道路用地になってしまっていたことに驚きました。
ダムで道路になってと聞くと天端を拡幅したのかと思いがち。


数日差で桜が終わってしまっていた日高川町にやってきました。
高津尾発電所の前を通りすぎます。


目的地到着。
この辺りが糸藤谷ダムの貯水池だったところです。
多分。


かまきりトンネルというトンネルの横に旧道があるので
そちらにちょっと登ったら見晴らしいいかと進んでみました。


トンネルの横に伸びる旧道は少し進むと舗装が荒れていましたが
通ることは普通に問題なさそうでした。
それに反して、トンネルの西側の山肌に残っていたガードレールは
完全な廃道の末端になっていました。


現道路を見下ろしても灌木が生い茂っていて眺望悪し。


この石垣の大きなブロックは周囲の物と不釣り合いなので
貯水池の関連の何かなのかと思って見ていましたが
貯水池の上流端あたりにあったことになりますし
そもそも道路になる時にかなり埋め立てられているわけで
無関係な物かもですし判別不能。


旧道への分岐から少し上り坂でトンネル入り口です。


2001年ですから平成13年ですね。


トンネルの入り口辺りから糸藤谷ダムの堤体があった方を見ると
道路の勾配はこんな感じ。
少し進んだ先で下り始めています。

元々の地形はもうさっぱり分かりません。


道路の横をてくてく歩きながら山を見ますが痕跡らしきものは
全然見つかりません。
これだけの道路通すためには法面も切っているでしょうし。


道路の横に拡幅されたスペースがあり
車もここに停めたのですが
そこに何やらモニュメントがありました。


池と水路を石で綺麗に作ってあります。

Googleのstreet viewで同じ場所を見ると
手押しポンプが設置してあったようです。


最近建てられたらしい何かわからない建物が出来ていて
トンネルの横ですし電気関係かなと思いつつ謎のまま。


堤体のあったであろう場所が全く分からないまま周辺をうろついています。
道路の北側には新しい護岸の川が流れています。


この辺りに堤体かあったんだろうなと思いつつ、トンネル方向を見たところです。


糸藤谷ダムの痕跡を一つも見つけられないまま
尾曾谷ダムにやってきました。


水圧鉄管と余水路の鉄管が谷の左右に走っていて
堤体までのワインディングは桜で一杯
すっごくスタイリッシュでかっこいいアースダムだと思います。


改修されてもきちんと残されているこの天端の貯水池側に残る波除堤の
立ちあがりと石積みが大好き。


バルトンの著書「都市への給水」に出てくる
排砂バイパスチャンネルを有している土堰堤の図。

排砂バイパスチャンネルではなくて流筏路ですが
そっくりな設備配置の尾曾谷ダム。

隣の谷に、兄弟のダムがありました。

その姿は尾曾谷ダムと同じく
19世紀末の英国標準設計に準じた土堰堤だったでしょうか。

終戦前に嵩上げされたという土堰堤はどんな姿で仕事をしていたのでしょうか

山の向こうの糸藤谷ダム跡地を想像しつつ
尾曾谷ダムを眺めつつ
夕暮れ時を過ごした糸藤谷ダム跡地訪問でした。