五十里ダム 見学 その2


一生懸命背伸びして堤体を愛でる。
古風な堤体です。
重厚な色合いです。
定型的な柱状工法ですね。
グリーンのゲートですね。
緑色大好き。


ダム説明図。
正統派重力式。
ゲートは現在これ以外にコンジットゲート2門が堤体右岸下に設置されています。
ダムを働かせたまま工事が進められたというのは大変だったと思います。
ここに五十里ダムを建設した鹿島建設さん自身が1999年〜2003年にかけて
コンジットゲートを新たに増設しました。
詳しくは鹿島建設さんの記事を見てください。ちょっと感動して嬉しい。

戦時中に計画され建設が始まり、1950年(昭和25年)に着工
1956年(昭和31年)に完成した五十里ダムは堤高が112.0mあります。
当時、国内で初の100m越え堤体だったとのこと。

丸山ダム(1955年完成・間組)は98.2mで100mにちと足りませんが国内のハイダムの祖
佐久間ダム(五十里ダムとおなじ1956年完成・間組)は155.5mです。

五十里ダムの方が竣工月が早かったという事でしょうか。

発電目的も持っていた丸山ダムは堤体ができていても
発電設備の運用開始が違っていたりと調べていていややこしかったので
国内初という文言はほんとにややこしい。

まぁ、国内初と言われる時代の堤体だというのは間違いがないので素直に愛でます。

先日も小阪部川ダムと鴨川ダムのどちらが農水省初のコンクリート堤体かという事で悩んだので
この問題は調べるのが大変。

間組と鹿島建設の施工した堤体を比べると色々妄想が膨らんで楽しいです。

現在建設が進められている新丸山ダムの道路付け替え工事は鹿島建設。
そこに残る産業遺構は間組の建設当初の物だったりして。

中空重力式でも間組の作った堤体と鹿島建設が作った堤体の換気孔はなんか違うし
こだわりがあるんだろうな〜とか考えるとウハウハが止まらないです。


間組と鹿島建設のダムの人とお近づきになりたいな〜
半日かけてダムを語ってほしいな〜


で、ダムカード。
現在時刻、7:40。

貰えるわけないよなぁ。いくらなんでも早いよなぁ。
さっきの川冶みたいなラッキーは二度もないだろうし。

うろうろした後、インターホンを押しました。

「朝の早くにすみません。ダムが好きで各地のダムを見学しているものなんですが
こちらのダムでダムカードを配布していると伺ってまいりました。
今日は祝日なので何時頃から配布か教えていただけませんかっ」
 ←ここまで一気

「何枚ですか?」

「え?ひとりです。一枚です」

「持って行きますから待っててください」 

すぐに管理所から休日の警備の方が出てきてダムカードをくださいました。
川冶に続くラッキーで吃驚です。



流石に堤体にお近づきになれる時間ではなかったために
せめて下流側から愛でようと移動してきました。

しかし落石で通行止。


遊歩道もきっちり整備されているのに残念です。


仕方がないので右岸側を走る道路をぽてぽて歩いて
木々の切れ間から正面を狙う。
夏だから木々が茂って眺望悪し。


少し場所を変えて一番眺望のよかったところから。
緑色のゲートが重厚なコンクリートと周囲の山に溶け込んで素敵です。

貫禄のある直轄堤体、五十里ダムでした。

 

五十里ダムの疑問

わくわくダムダム広報館に行けば分かったのかもしれませんが外から見ただけでは解らなかった事

五十里ダムのダムカードの裏のゲート情報には

クレスト2段ローラーゲート×3門
コンジット高圧ローラーゲート×2門
ジェットフローゲート×1門

と、あります。


しかしダムにはもう一つゲートがあるんです。
これはもう使っていないゲートなんでしょうか。

鹿島建設さんの記事を参考にするとコンジットゲートができる前の
五十里ダムの常用洪水吐放流能力は100t/s程度で
全開or全閉のon-off操作しか出来なかったようなのです。

on-off操作で100t/sというと・・・
でかいバタフライバルブだったんじゃないかと思ったりします。
2年違いで出来た藤原ダムにもバタフライバルブがあったし。