芦ノ町池

2026/3/11 更新


舞鶴にやってきました。

訪問日はしとしと雨降りでした。
令和7年から8年にかけて日本海側では二年連続でドカ雪でしたが
太平洋側ではからっからで雨が降らず、九州から東北まで大変な惨状に。
梅が咲く前に枯渇したダムも多数。

そんな状況でやっとまとまった雨がやってきたので雨降りでも嬉しい。

舞鶴は「弁当忘れても傘忘れるな」と言われる位
しとしと雨の多い地域です。

では水源地としてとても優秀かというと、総降水量が多いわけではないので
紀伊半島のようなとんでもない雨が降る所とは根本的に異なります。

明治時代、舞鶴に鎮守府が置かれることになり
それに伴って近代水道が整備されました。


舞鶴鎮守府の海軍さんの水源地・桂貯水池堰堤です。
これは四半世紀くらい昔に訪問した時の写真です。

桂貯水池堰堤は中央越流型のメイソンリーダムで堤高は12.4mです。

神戸市水道局の布引五本松堰堤が日本初重力式コンクリートダムとして有名ですが
桂貯水池堰堤はその半年後に竣工しているので同い年です。

舞鶴市上下水道部の神田秀之様が調査・執筆された
『舞鶴市の海軍水道遺構と杉山水源水道の調査報告 -初期舞鶴市水道の姿を探して- 』
『舞鶴の旧海軍と第三火薬廠の水道遺構(調査報告その2) -軍港水道から市民水道への軌跡を探る-』
『舞鶴の海軍水道はどう造られ継承されたか(調査報告その3) -構造、材料、人、そして現在へ-』
によると、桂貯水池堰堤は日露戦争開戦に伴い、貯水量を増やす必要があり
竣工5年後に『三尺』嵩上げされているのだそうです。

桂貯水池堰堤は三門のゲートレスクレストから流れる水が
暴れて飛び散ることなく、滑らかにエプロンに広がり、川に到達しています。

堤体導流壁はありませんが
水が流れる部分だけが掘り込まれた様に低くなっていて
その内側を流れ落ちています。

いまより『三尺』低かった竣工時の姿がとても気になります。

いつ頃まであったのかわかりませんが、現在はゲートレスクレストですが
元々は鋼製ゲートも設置されていたとのこと。

フラップゲートを巻き上げ機で開閉するタイプだったそうです。


1905年竣工の神戸市水道局の烏原水源地立ヶ畑ダムは
堤高30mを超えるダムで中央越流式です。

高まる水需要にこたえる為に、嵩上を前提にした設計で竣工しています。
竣工時の放流写真を見ると堤体に導流壁がないためクレストからの放流水は
ゲート幅よりも裾広がりに飛沫が飛んで広がっていました。

嵩上げを行った後も堤体に導流壁、又はその役目をするものは増えていません。

水需要が高くて、クレスト越流自体が殆どなかったので必要ないとされたのか
水飛沫が飛んできても浸食、洗堀されないように周辺も対策していたためなのか
そのあたりが気になるところです。

全面越流を採用した1919年竣工の千刈ダムでは
堤趾導流壁がばっちり設けられているので。

桂貯水池堰堤は布引五本松と立ヶ畑に比べると堤高こそ小さいですが
色々と技術的にやりたいことを詰め込んでいるように感じます。


雨の降る日が多いと言われる舞鶴ですが年間降水量が多くはないので
桂貯水池堰堤のある与保呂川流域で農業用水が不足してしまうという声が上がりました。

そのために、鎮守府は灌漑用のため池を与保呂川に建設します。
それが芦ノ町池です。

桂貯水池堰堤と、岸谷ダムこと岸谷川下流取水堰堤のすぐ近くにあります


芦ノ町池の横に立つ建設の碑と改修工事の記念碑です。


芦ノ町池は明治41年に完成しています。
この建設の碑は大正3年に建てられたものでした。


芦ノ町池の設計者、星野一太郎技師の名前が石碑に刻まれています。

岸谷ダムこと岸谷川下流取水堰堤と、この芦ノ町池の設計を担当されたのが
星野技師です。

明治30年に東京帝国大学を卒業し
大正9年に佐世保鎮守府に海軍技師として在籍していた方であるとのことです。

この頃、佐世保鎮守府建築科長は吉村長策先生で
繋がりがあると考えられます。


平成の改修工事は平成18年から22年にかけて行われました。
堤体も補強され痛んでいた底樋などが新しくなりました。


これは改修工事直後に訪問した時に撮っていた説明板です。


芦ノ町池の概要です。

しとしと雨が降るけど水量が豊富でないエリアなのです。


天端にはベンチがあるのですが、ちゃんと貯水池側を向いているのが良いです。


取水口は天端の中央付近にあります。


洪水吐の越流部は改修される前の形状が解らないのですが
ラビリンス型になっていました。


堤体の横ですぐ流れ落ちるのではなく
山の斜面に沿って少し下流まで水路が伸びています。


下から見てみると、階段式ではなく真っ直ぐな水路でした。
階段式を採用しなかったのか、改修でこうなったのかが気になるポイントです。
ラビリンス型になる前の越流部形状も気になるし…また調べねば。


雨降りの与保呂水源地でこれが見られるととても嬉しい
岸谷ダムこと岸谷川下流取水堰堤のカスケード余水吐越流♪


余水吐を横切るこのコンクリート製の樋ですが
これが芦ノ町池から来ている水のルートなんだそうです。
このまま浄水場の敷地の中を水路で横断して
下流の田畑に水が届いているのだそうです。

海軍さんの水源地は
地域の方への配慮も素晴らしい。
海軍さんの心意気を感じられるシステムが随所で見られるのです。

舞鶴鎮守府の水道と産業遺産を愛でられる会を
地元の水道局や研究者の方々にご協力いただいて
是非、開催したいと考えています。

おまけ


舞鶴の観光名所、赤れんがパークのお土産どころで
東郷平八郎元帥にひっかけた東郷源水が販売されていたのが素敵でした。