大畑瀞 再訪

2024/4/1 更新


奈良県の橿原市にあるイオンモール橿原にやってきました。

「土砂災害パネル展」
奈良県では紀伊半島大水害の風化を防ぎ
土砂災害への関心を深めていただくため
被害が発生した9月2日、9月3日を「奈良県土砂災害防災の日」と定め
様々な啓発活動を行っています。

その一環としてイオンモール橿原で令和5年の9月2日から9月5日で
「当時の被害状況」、「国や県による復旧工事」
「土砂災害を事前に伏せぐための取り組み」
を紹介するパネル展示を開催しますというニュースを見てやってきました。


ノースモールのエスカレーター脇という情報に
広いフロアを彷徨って、やっとたどり着きました。


タイトルパネルのセンターは落橋した後に架設された折立橋です。


栗平地区の砂防工事の紹介パネルです。

「日本最大の土を止める」という文字に

ほー…
立山カルデラの2億トンより多いのか?

と、0.5秒で突っ込みを入れましたが
別のパネルで説明文の中に“近年の…”という文字があったのでヨシ!!
ちなみに栗平地区の崩壊土砂量は2384.6万m3です。


こちらの大畑瀞のパネルが一番気になりました。


紀伊半島大水害の後、大変なダメージがあったという
ニュースや報告を見ていたのですが具体的なイメージがわかなかったのです


奈良県から公開されている災害の概要です。

大畑瀞は明治22年の十津川大水害で生まれた
土砂崩れによる河道閉塞による堰止湖です。

普通の堰止湖と違い、条件が良かったことが幸いして
そのまま安定して地域の水源になるなど
貴重な災害史に残る例になっていました。
条件の良い堰止湖というのは
河道を塞いでいる崩壊土砂の中に樹木などの
堆積した土砂が沈下したり崩壊につながる不安定要因になる物が少なく
形成された湖の水収支のバランスが取れていて雨が降ってもオーバーフローしない
という条件を満たしている、というイメージです。


しかし、その絶妙な水の流入と流出のバランスは
紀伊半島大水害の豪雨により破綻し
崩壊土砂の上を水が溢れたことで
堰止湖の直下流に土石流が発生したのです。


土石流が走ったところに流路工と床固工が作られ
保全対象であるR425の直上流に砂防堰堤が設けられました。

また十津川方面に行ったら会いに行きたいなと思っていましたが
どこまで近づけるのかがわからないので行かずじまいになっていました。。


令和5年の年末、ダムアワードの取材ででんぱつ様の
十津川第一発電所にお邪魔しました。
銘板写真確保♪藤井総裁の筆でした♪


現場で、十津川第一発電所の放水口ってどこなんですか??
と横を通る川を覗き込みながらお聞きしたところ
ここではなくて地下トンネルで山一つ向こうにあると
教えていただきました。


という事で連れてきていただきました放水口です。


十津川第一発電所の最大使用水量は60m3/sです。
かなり大きな設備でした。

十津川第一発電所の放水口を見せていた時に
ご案内くださったでんぱつの方に大畑瀞の事をお聞きしました。

工事は終わっているそうだけど、すぐ近くまで行けるのかどうか
ご存じないかと思ってお聞きしたのです。

すると、今はもうすぐそばまで行けますということで
道路状況などを教えていただくことができました。


令和5年度末、またまた十津川村にやってきました。

十津川第一発電所のメンテナンスのために発電所を止めているので
ゲートから放流しているという情報を得ていたのでワクワクやってきましたら
見事に全門放流でした。


くるんとフリップバケット形状になっているエプロンの端からも
綺麗に越流しています。


ズームしてみたときに二番ゲートに異変を発見。
なんか詰まったようです。
多分、流木。
水面とゲートの間に隙間があるので定開度放流だと気づきました。


天端から見たらこんな感じで飛沫が上がっていました。
そんなに巨大ではない流木が引っかかった模様。


続いてやってきたのは十津川村役場の近くの十津川温泉・滝の湯様。


二津野ダムカレーを食べられるとお聞きしたのです。


ダムカレーカードもついています。
ご飯はお願いしたら、ふわっと盛にしてもらえるので
量が食べられない方は最初にお願いしておけば大丈夫。

温泉には入りませんでしたがお肌つるつる系の湯らしいので
また機会があれば入りたいです。


という事であちこち寄り道しながら
久しぶりにやってきました十津川村重里地区。

国道の横にできた砂防堰堤の横の道路をどんどん上がっていくと
大畑瀞に到着しました。


小さくなった…?
いや…こんなものだったかな?


20年くらい前の大畑瀞の写真です。
岸に刻まれた痕跡から、水位がどのくらいまで上がるのかが見て取れました。

貯水位が上がった後にどのルートで水が出て行くのかというと
伏流水として浸透して流出していたという事で排水ルートは目視できませんでした。

奈良県五條土木事務所の
大畑瀞(奈良県十津川村)における土砂流出と対策について

に、大畑瀞の詳しいデータがありました。

“ 河道閉塞の堤体は高さ50m・長さ450mであり,湛水面積は0.02km2である ”

“ 大畑池からの湧水は永井,重里地区の生活用水として利用されている ”

“ 崩壊・決壊しなかったのは,大畑池への流入量と流出量(主に伏流水)の
バランスが保たれて越流等がなかったからと考えられる ”

紀伊半島大水害でこの場所はどうなったかというと

“ 平谷雨量観測所(県)では 8 月 31 日 11 時~9 月 3 日 23 時(以降欠測)の
連続雨量1183mm,最大 24 時間雨量 774mm(2 日 19 時~3 日 19 時),
最大時間間雨量 63mm(2 日 21~22 時)を記録した ”

“ 大畑池の水位上昇に伴う越流破壊と浸透破壊で河道閉塞の堤体が崩壊し,
西川本川まで土砂が流出・堆積した ”

という事で、永く安定していた大畑瀞は崩壊したのです。


フレコンンパックが並ぶ岸辺。
排水ホースがコルゲート管で束ねられてます。


堤体があったところは整備されて水のルートが定められました。
オーバーフローした時は必ずここを水が流れるようにしておけば
安全に水をコントロールできるという事になります。


溜まった水の中から顔を出している枯れた木。
昔の写真にはありませんでした。
紀伊半島大水害の時に運ばれてきた倒木なのか
詳細はわかりませんが印象的な形でした。


フロートで固定された排水ホースの端です。
もしかしたら簡易水道向けの取水ホースかもしれませんが
眺めている限りではよくわかりませんでした。


流路工の上に架けられた橋からみたところです。

大畑瀞はすっかり姿を変えていました。
永く安定していた稀有な堰止湖でしたがこれも貴重な歴史であることには間違いありません。

紀伊半島大水害からの復興はまだ続いています。
綺麗になったトンネルや高規格の道路の横に災害を学べる場所がたくさんあります。
興味のある方にはぜひ、足を運んでほしいと思います。

おまけ


風屋ダム二番ゲートですが
帰りにもう一回見たら引っかかっていた流木は流れていました。
ささっと、ゲート操作で ないない したと思われます♪