尻無川うろうろ その1

2019/3/21 更新


お休みの日に早起きしてふと思い立ち
ラッシュアワーの前に大阪に出てきました。


湊町リバープレイスで地上に出てここから歩きます。


道頓堀川を西に歩いています。
出てきたのは西道頓堀橋。


その橋のたもとにいきなりこんな石碑が。

『水防碑 災害は忘れたころにやってくる 』

これは何の災害に対しての石碑なのか後ろに回り込んだけれど
ゴミと落ち葉が降り積もっていたので文字が読めない。


そしてわっせわっせとゴミをどけたけれどやっぱり文字が読めない。
御影石の石碑憎し。必死で解読。

浪速区はこれまで台風による高潮により
幾多の水害に見舞われたがなかでも
昭和九年(一九三四)の室戸台風、
同二十五年の(一九五〇)のジェーン台風、
同三十六年(一九六一)の第二室戸台風により
多くの人命と財産が失われた

近年こうした大水害はほとんど見られなくなったが
このような平時においても
なお一層人々が水防意識を高め不断の努力で
災害防除することを念願してこの碑を建立する

昭和五十四年 秋
 大阪市

大阪府ではなく大阪市の管理河川道頓堀川ですから
石碑も大阪市建立。


更に道頓堀川を西に進んでいくと東横堀川水門の兄弟
道頓堀川水門をこの距離で見られる日吉橋に到着。


サブマージブル・ラジアルゲート兄弟♪
ギネス認定来ないかなぁ♪


さらに西に向かうと突然歩道の横に立派な石碑の立つ
公園のように整備されたスペースが登場しました。


安政二乙卯(きのとう)年七月建立 とあります。


紀波津口川両震地大

・・・。

大地震両川口津波紀!!

あああっ!!
これ、あの有名な安政大津波の碑なのかっ。


史跡として整備されているので詳しい説明板もあります。
嘉永7年=安政元年の大地震とそれによって引き起こされた津波。
あの伊賀上野市で1.5mも地盤沈下したきっかけになった大地震も
同じ嘉永7年の6月に起きています。
安政年間には大地震が連続して起きているのです。


ちょっと褪せてしまって見えづらいですが
押し寄せた津波が船舶を押し流し
東横堀川まで到達させたことが
当時の瓦版の絵に描かれていました。


こちらは石碑の原文をそのまま書き写したものだそうですがちょっと読みづらい。


こちらが原文を現代語にしてくださったものです。
とってもありがたいです。

読み進めるとあまりにも詳細な
あまりにも具体的な被害の描写に
頭に東日本大震災の時の津波のニュース映像がフラッシュバック。


「地震が発生したら津波が発生することを十分に心得ておき
船での非難は絶対にしてはいけない」

「…つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は
時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい」

またいつかやってくる大地震と津波。

湊町リバープレイスからちょっと歩いただけで
高潮被害を記した碑に津波を記した碑と
次々、貴重なものに遭遇。

道頓堀川から尻無川方面、治水のお勉強ロードなのか??