木津川水門 その2

地震と津波のドラマ仕立てのシアター映像もあるんですが
ちょっとリアルすぎると色々思い出して辛い。
昨年は大阪で震度6の地震ありましたし。


道頓堀川と木津川の交差点近くにある「大地震両川口津波紀」こと
安政元年の大地震と津波の石碑のレプリカもありました。
大阪市、堺市、あちこちに津波の石碑は残っています。


突然、防潮鉄扉が現れます。
実際に働いていた扉体です。
尻無川の左岸にあったものだそうです。
成程。
尻無川だから扉が青色塗装なのね。


そしてそこに貼られた説明がこれ。

うぉーー
そ、そんなにあるのか
国管理が6ヵ所で大阪府の管理が200ヵ所
んで
大阪市の管理が263か所
その他市町村って大阪市のまわりだよね


こちらのスペースでは過去の高潮被害の様子を記録写真で見ることができます。


高潮被害が都市部に起きるとどんなに大変か
一つ一つの写真を見ていくことで具体的に想像しやすくなると思います。

自分が一番、張り付いて見ていたのがこの写真です。
室戸台風で湾内の船が木津川の上流に吹き寄せられ
国鉄の鉄橋で止められ、幾重にも重なって川面が全く見えないほどになっています。

山間部を襲う豪雨が、間伐の後に放置されていた木を山から川に落とし
川を流れて橋に引っ掛かり、堰上げが起きて橋が落ちるのと同じで
高潮の時に船は流れてこんな被害を出してしまうのです。

市街地が数時間で150cm以上浸水した長崎大水害では
車が流れて建物や橋を破壊しました。

あまりにも強大な水の力の前に
流木も車も船も
流れてしまう大きさの物はみんな
橋を落とし建物を破壊する物体になってしまうのだなと再確認。


床には大阪湾の地図。
南海トラフ地震による浸水想定区域が色分けしてあります。
ひときわ真っ赤っかなのがUSJの東のエリア、安治川河口の右岸側です。


大阪が誇る3大visor gateの赤・安治川大水門の巨大で精巧な模型。

竣工して50年、数々の殊勲をあげてきました。
しかし、最近では南海トラフ地震による津波に対応できるものにしなくてはという理由で
引退というニュースが流れて水門マニア発狂。
あくまで高潮対策だから津波には…という説明を
現場にいらした学芸員(?)の方にお聞きしましたが
歯切れが悪過ぎてよくわからない。
言いたくないのかなぁ。

このあと、隣の事務所の方でも色々お聞きしたけど
何一つピリッとした答えが返ってこなかったので
これはまだ触れちゃいけない案件なのだな〜と思う事にしました。
気配り必要。


ちゃんと大水門が活躍した様子をパネルにして展示してくれてあるのが嬉しかった。


T1821で木津川水門が抑え込んだ高潮、ほんとにとんでもない高さだったのです。

写真左側が木津川
写真左側が大阪湾の高潮
潮位を見てください。
ホントに恐ろしい高さまで押し寄せています。
visor gate 超かっこいい!!!


ハイドログラフもちゃんとありました。
webで公開して自慢してほしいのにー。
こんなにカッコいい仕事したんだよって自慢してほしいのにー。
ここに来ないとハイドログラフ見られないとか勿体なすぎー。


現場で一通り展示を見た後に資料コーナーで見つけました。
水環境研究所広報誌「水が語るもの」のバックナンバーはこちらで読むことができます。
面白い記事がてんこ盛りなのでお薦め。


2018年12月の第17号にはこんな記事が載っています。


大阪府が整備してきた高潮対策。
既往最大のT1821との戦いにも負けませんでした。
こういう記事は読んでいて嬉しくなります。