請堤と遊水地 その1 

2022/7/1 更新


奈良県大和郡山市。
『全日本金魚すくい選手権大会』が開催される町
というのが一番有名かもしれない金魚の町です。

市の中心に郡山城跡があり、中心街は城下町の風情がそこここに残っています。


主要駅は近鉄郡山駅とJR郡山駅です。
二つの駅の間をつなぐ道路沿いに薬園八幡神社があります。


お参りしたときに、大和郡山の御朱印マップという観光パンフレットが目に入りました。


大和郡山市のわかりやすい地図がありました。
そこに、丁度、今回、フィールドワークしようと思っていたポイントが載っていたのです。


近鉄郡山駅の隣の駅、筒井駅のすぐ横にある筒井城址です。


筒井城址から北東方向、佐保川沿いのこのエリアも調査対象。


そして稗田環濠。賣太神社は稗田阿礼をお祀りしている神社です。
記憶力の神様。


そして大和郡山市の南の端のこの場所です。

今回、現地調査をしようと思っているのは大和郡山の治水にかかわる歴史的構造物です。
大和郡山市には請堤と乗り越堤と遊水地が昔から整備されていたのです。

乗り越堤というのは、自分も最初は霞堤と同じものかな〜?と
混同していたのですが全く別物でした。

霞堤は傾斜のある土地に堤内地の上流に方向に本川からの水の出入りが出来るように
開口部(無堤区間)がある不連続堤防です。
増水時はゆっくり水が広がっていき、傾斜地にあることで水位が下がれば
水は自然と出ていくものすごくよくできた仕組です。

乗り越堤は連続堤防の一部が低く作られているもので増水時には
堤内地に向かって水が流れ出しますが、川の水位に合わせて自然に排水されることはないので
その後、堤内地(遊水地として使われている部分)に流れ込んだ水が
きれいに退いていくのかどうかがよく分かりません。

現在なら本川水位が下がってから樋門で出すなり別ルートで出すなり手段は色々あると思いますが
昔はもしかしたら増水で沼地状態になってしまった遊水地が乾くまで諦めていたのか
農業に詳しい方にまた聞いてみようと思います。

乗り越堤が設けられているところは川の両岸の堤防を同じ高さにせず
片方を初めから低くしておくことで高い堤防で守られた土地が浸水することを防ぎます。

請堤は集落を取り囲む形になっていたり
水がやってくる川側にめぐらせていたり地形によって様々ですが
いずれも“どこを守るか”が、はっきりしています。


その守るべき対象の一つであった筒井城。
筒井順慶ゆかりの城です。

NHKの大河ドラマ・麒麟が来る でもしっかり描かれていた
松永久秀と筒井順慶の対立。
まさにその舞台になっていたのがここ、筒井城址です。

この筒井城を松永久秀からではなく
水害から守るために築かれた堤防が残っており、順慶堤と呼ばれています。
筒井城を守るためにどう設置したかが非常にわかりやすいので
まずここを見に行くことにしました。


近鉄郡山駅からひと駅、筒井駅に来ました。
駅前に観光地図があります。


唐突に“土居”の説明がありました。
ええと、治水目的の堤のことをいう土居と、集落などの防衛目的の土居があるので
ここの場合はどっちをさしているのか、両方なのかちょっとわかりにくい。


地図で土居は量川の南側、筒井城址側であると示されているので
ここだったら治水目的の堤です。


その順慶堤の保全対象である筒井城址に行きたいのですが
ぐるぐる歩き回っても見つからない。
案内標識があるので素直に指し示している方向をみると…。


民家の路地???


不審者扱いされたらどうしようかと思いつつ、路地を進んでいくと…


いきなり到着。
筒井城址を示す石柱です。

いや…あの路地は中々、進むのに勇気がいると思います。