市ヶ原 その1

2021/9/1 更新

神戸市水道局の堤体三兄弟を電車とバスと徒歩で
一日で廻るハイキングコースを国土交通省のダムコレクションに載せて頂きました。

国土交通省 水管理・国土保全局 ダムコレクション

公共交通機関で行く神戸市水道局堤体三兄弟

以前、このコースを実際にてくてくしてみようという企画が持ち上がり
あちこちの専門家の先生もご一緒してくださることになって
大変楽しい充実のハイキングを満喫したのですが
その後日譚として“布引五本松ダムの上流で昔、大きな災害があったね”
というお話を聞かせていただくことができました。

神戸エリアで昔あった大きな災害というと
阪神大水害が一番に頭に浮かびます。


ということで文献を色々調べていました。
この「関西の土木100年」は貴重なデータが載っている文献で
とても頼りにしている史料の一つです。


「関西の土木100年」に載っていた六甲風水害の項です。

読んでみると、阪神大水害の後、昭和36年と昭和42年に
特に大きな災害があったことが分かりました。


昭和13年の阪神大水害のデータです。

7月の3日に49.6mm、4日に141.8mm、5日に270.4mmという
断続的な雨で地盤が緩み大変な土砂災害が起き市街地まで
土砂が押し寄せました。


昭和36年には6月24日〜27日の前線性降雨による被害と
9月16日の第二室戸台風の被害がありました。

6月の前線性降雨は台風の影響もあったために
総雨量が472.1mmという非常に大きな数字が出ています。
時間雨量も最大で44.7mm/hですから物凄い雨だった事が伺えます。
また、この災害の特徴として
“山麓附近の宅地造成にともなうがけくずれ,または土砂の流出による被害”
が挙げられていました。


更に見ていくと昭和42年の豪雨災害についての記載が見つかりました。

三日間で総雨量369.6mm、最大時間雨量が75.8mm/hとあります。

75.8mm/h

なんて数字…
何という恐ろしい数字…

ふわっと頭に浮かんだのは突然の集中豪雨で天ヶ瀬ダムに通じる道が全部途絶えた
2012年(平成24年)8月の京都府南部豪雨災害でした。


京田辺市と宇治市をを含むとてもせまい範囲で大変な雨が降ったのです。
この時の天ヶ瀬ダム地点雨量の最大値が70.0mm/h超であっという間に
ダムに繋がる道路が倒木や土砂崩れで車両通行不能になったのです。
近くの高速道路ではトンネルの入り口に上の山が落ちて塞ぐなど
数時間で大変な災害が発生しました。

70mm/hの雨がきたら逃げる間もなく被災する可能性がとても高いのです。


こちらが昭和42年災の詳しい説明になります。

“六甲山中の市ヶ原・天王谷などの新興住宅地で住宅の全壊,生き埋めの
惨事を生じ,その死者が神戸市の死者84名の大半を占めた”
との記述がありました。


この時に発生した土砂災害の写真が掲載されていました。
「神戸市葺合区市ヶ原の崩壊現場」と記されています。

市ヶ原は布引五本松ダム上流の地名です。
現在の神戸市でいうと中央区になると思います。

◆ ◆


ということで文献調査で情報を整理してから現地入りしました。
といってもらくちんロープウェイで中間駅まで移動です。


布引の滝はほぼ水がなく
一筋かろうじて流れている程度でした。
これは神戸市水道局様のコントロール水量でしょうか。


華厳の滝や白水の滝と同じく布引の滝は水量を上流のダムで
コントロール出来る滝ですから。
多分、昼間だけ流していると思われます。


そして布引五本松ダムは、はらはら水位でした。
利水ダムですから幸せ水位になってほしい。


中間駅を降りてダム湖バックウォーターを目指して進んでいきます。
標識にも市ヶ原の文字がありました。


いつもは締切堰堤の方へ進む道をずっと奥へと進んでいきます。


猪注意です。


道路の横に砂防堰堤が見えてきました。


河鹿堰堤というそうです。
銘板には
昭和42年11月起功、昭和44年3月竣功 近畿地方建設局
の文字がありました。

昭和42年災でつくられたものかもしれません。


更に進んでいくとまた別の砂防堰堤が登場しました。
水底まで光が届いてキラキラしています。


市ヶ原堰堤です。


表面を石張り型枠にしているので
水しぶきがとても美しいです。
遠目に見ている限り堤冠は天然石ならではの強度で
ほとんど削られていないように見えました。


道路から階段で簡単に堤体の上に降りられます。
袖天端も表面石張り。


溝が掘られたコンクリートブロックがありました。
梯子でもかけていたのでしょうか??
役目がピンときません。