阪神高速開通50周年記念 阪神高速展 その2


1970年代。

大阪で行われた万国博覧会。
道路網はどんどん広がります。

大阪万国博覧会のメインテーマはProgress and harmony

1970年代
電気が途切れることなく送られるようになり
高度経済成長期が訪れました。
都市部に近い大規模ニュータウンに人が集まり
自宅での車の保有台数はどんどん増えていきます。

そんな時代、湾岸線が開通するのです。

しかし大阪港は航行船舶がとても多く
大型船の運行を妨げないよう橋脚を持つタイプは選択できません。
海面からの高さを十分に取らなくてはならない橋でした。

今の時代なら、今の技術なら鉄橋は架けないだろうと
PC斜張橋で架けると思いますと建設技術展でお聞きしました。

大阪は上町台地の西は地盤が弱い。
そして湾岸はほんとに大変な軟弱地盤なのです。

そんな場所に架ける橋は出来るだけ軽くしたい。
選ばれたのが鉄橋です。
コンクリート橋ではなく軽くて強靭な鉄橋が選ばれたのです。


港大橋の模型♪

中央径間510m 桁下空間51m

軟弱地盤を克服してここに長大橋梁を架ける

そのためにまたまた独自技術開発が進められました。
“超高張力鋼(HT70、HT80)の極厚板(最高100mm)を大量に使った”

ひぇぇぇぇぇっ!!
HT70って当時で考えたら凄い贅沢品じゃないのかっ。
それを100mm厚って
ひえええええっ!!


しかしこの凄い鋼材を使ったおかげで橋の重量は軽くなり
強度も出せたというまさに鉄橋のメリット炸裂。


港大橋は現在も世界第3位のゲルバートラス橋。
そしてこれはもう不動の3位。
なぜなら、今作るならPC斜張橋になるからです。
メンテナンスの大変な鉄橋は軽いというメリットがありますが
ランニングコストを考えるとPC斜張橋の方が有利だからです。

大事に大事にメンテナンスされて使われている
毎日たくさんの車が通る橋
日本の技術遺産の上を走る事が出来る。

そう考えるとにやにや笑いが止まらない。
しかし自分はいつも橋を撮りたいので通るより
下から見ている方が多いという矛盾。

◆ ◆


1980年代。

高速道路はどんどん広がり便利になってきましたが
その便利になれてしまった人がメンテナンス工事に対して
渋滞が発生することに怒ったりしている声をよく耳にします。

工事渋滞はイライラするし疲れるし心と身体の負担になりますが
道路のためには必要なことです。

昭和63年
阪神高速・1号環状線は20年が経過して
交通量も重量車両も増加の一途をたどり
路面の痛みがどんどん積み重なっていました。

片側1車線だけにしての補修を繰り返しても
イタチごっこという状態だったそうです。
舗装は打ち変えをして新しくしていかないと傷んでボロボロになってきます。

当時、1日に40万台も通行していた大阪の大動脈、環状線を完全に止めて
工事を行うという計画を実施するために準備期間は何と5年!!

この道路が使えなくなったらどのくらいの渋滞が周辺道路に発生するのか
幹線道路がマヒ状態にならないか
調査に次ぐ調査とシミュレーション
そして広報。

これが一番大切。
利用者に工事の必要性を理解してもらう事。
工期をしっかり知らせておくことで渋滞発生を利用者に回避してもらうために。

そのために工事前にポスター、チラシ、ラジオやTVでのお知らせを
全国規模で行ったそうです。

この工事の時に生まれた言葉が「若返り工事」なんだとか。

パネルを読んでいて思ったのは
昨年自分が遭遇した災害渋滞でした。
この道路が使えないと分かっていれば迷い込まない道路
どのルートで帰ればいいか離れた所からコースを考える事が出来れば
渋滞につかまらなかったのに。

道路を計画的に封鎖することの難しさ
何十万もの車が通る道路が使えなくなったときの対応
こういうシミュレーションと実際に行った時のデータの蓄積
これは素晴らしい財産です。

災害時にも活躍するデータになるはずです。

◆ ◆


1990年代。

湾岸線が全線開通しました。
関西国際空港まで高速道路がつながったのです。

管制システムと交通量情報収集システムの進化の紹介です。

道路に埋設した検知器とCCTVカメラによる通行量観測
(のちに超音波式に進化)
NTTと協働しての光ファイバー通信
大阪府警と情報共有で一般道路と高速道路の渋滞情報提供。

それまで幕で行っていた情報板も電光式になり
渋滞情報は迅速に正確に利用者に伝えられるようになったのだそうです。

阪神高速で一番、自分が使うのは
奈良から第二阪奈で直結している13号東大阪線ですが
長田の料金所で“環状線まで○分”という表示が出ていて
これが本当に正確で表示されていた時間で環状線に到達するので
凄いなといつも思って見ています。

◆ ◆


2000年代。

阪神高速はついに悲願の京都線開通。
大阪・神戸・京都 三都物語―♪

奈良も京都も掘ったらなんか出る。
遺跡出る遺物出る凄い物が出たら工事とまる。

そして都市のブランドイメージが大切なので
高さ規制やらコンクリートの色やら形状やら
とにかく計画設計も大変。


クイズラリーです。
基本的にパネルをきちっと見ていれば全部答えられる。
でもボケをかましたいのをこらえる方が辛い。
ここはスカイビルと書きたいのをこらえる。

◆ ◆


2010年代。

現在進行形の大和川線開通まであと少しです。
請け負った会社の設計に不具合が見つかって
設計やり直しがあった為に1年4か月工事遅れたけど。

工事が始まってからは順調で最新技術でどんどん進んでいます。
早く開通しないかなぁ♪

◆ ◆

と、50年の歩みをわくわくパネルで勉強させてもらった後に
目を背けちゃいけないあの震災の記録へ。


ぐっと噛み締めてパネルに向かいます。


阪神・淡路大震災。

阪神高速も大変な被害を受けました。


地震発生直後、点検巡視に出た方の記録が展示されていました。
橋脚一つずつチェックされた大変な量の記録の一部です。


人と防災未来センター(DRI)前に展示してある
阪神高速の被災したコンクリート橋脚です。

引っ張りに強い鉄筋
圧縮に強いコンクリート
それぞれの長所を生かして作られた鉄筋コンクリート

それがこんなに大きく座屈しているのです。

コンクリートでも曲がるのです。
これが地震の力なのです。


阪神大震災以後、耐震基準は変わりました。
高度経済成長期に作られたコンクリート構造物は
補強を受けて長く使えるように今もメンテナンスが続いています。


クイズラリー。
橋脚の耐震補強で巻立している材料を答えなさいとう設問。
ここははやっぱりはらまきだと書きたくて仕方がない。